2012年11月22日

世界で最も美しい通りシャンゼリゼ通り21日、毎年恒例のクリスマスイルミネーションが点灯



フランス・パリ(Paris)のシャンゼリゼ(Champs Elysee)通りに21日、毎年恒例のクリスマスイルミネーションが点灯された。写真奥に、コンコルド広場(Concorde square)の観覧車が見える

★シャンゼリゼ通り(フランス語: L'Avenue des Champs-Élysées、またはLes Champs-Élysées)とは、フランス・パリの市内北西部にある大通りである。パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。『オー・シャンゼリゼ』という流行歌のおかげで日本でも広く知られるようになった。

概要
パリ市内北西部の第8区を横切る約3km、幅70mの大通りである。マロニエ(マロンの木)の並木道となっていて、東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで全長約3km続き、パリの観光スポットとなっている。この通りを延長すると、東のルーブル宮から、ルーブルのピラミッド、カルーゼル凱旋門、テュイルリー庭園、オベリスク、凱旋門、そして西のラ・デファンス地区の「グランダルシュ」へと東西の長い直線を形成している。この直線をパリの歴史軸などと呼ぶ。

シャンゼリゼ通りは東に行くにつれ微妙に下り坂になっており、下って行った先にはマリニー広場の緑地とマリニー劇場、グラン・パレ、プチ・パレ等の建物がある。西の方では、両側には有名ブランド店、映画館、キャバレー「リド」、カフェ、レストラン(そのうち最も有名なものは「フーケ (Fouquet's)」)などが立ち並ぶ。なお、シャンゼリゼ劇場はシャンゼリゼ通りにではなく、モンテーニュ通りにある。

なお、"Les Champs-Élysées"とは、ギリシャ神話において有徳の人が死後に住む極楽浄土を意味するエリュシオン(英: the Elysium, the Elysian Fields)のことである。そのため、シャンゼリゼ通りは、日本風に言うと「極楽浄土通り」または「極楽通り」ということになる。また、シャンゼリゼ通りに面して、フランス大統領官邸であるエリゼ宮殿(le palais de l'Élysée)があるが、これも日本風に言うと「極楽浄土宮殿」ということになる。




歴史

シャンゼリゼ通りは元々は、農園と市場であったが、1616年にマリー・ド・メディシスがテュイルリー宮殿の庭園の軸を並木道で延伸したいと決めた。ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手がけたル・ノートル(Le Nôtre)によって都市計画がなされた。1716年後半頃には、ギヨーム・ド・リズムのパリの地図によると、現在のロンポワンの地点にある丸い池によって終点となっている、並木道の植わった「テュイルリー通り」によってテュイルリー庭園の中心軸が短く伸びた通りで農園と市場が分けられているのが分かる。すでにそのころ放射線状に延びた並木道が森と畑を通って川まで達していた。1724年には、テュイルリー庭園を貫通する軸とその通りはエトワール広場までさらにつながり延伸され、「シャンゼリゼ(エリュシオン・極楽浄土)」という園地がその通りに面して広がり、元々秩序立てて植林されていたところがすぐに茂みとなった。東のほうでは、当時好まれず無視されていた「旧ルーブル」(地図ではそう書かれていた)が建物に囲まれて存在していたが、まだその東西軸の一部にはなっていなかった。1724年の地図では、シャンゼリゼ大通りは新しく整備された「トゥルナン橋広場(Place du Pont Tournant)」(すぐに「ルイ15世広場」と改名され、現在の「コンコルド広場」となる)から西へ延びている。

18世紀末の頃にはシャンゼリゼは流行の通りになっていた。両側の植え込みは正式の長方形の緑地帯をなすほど茂っていた。フォーブール・サントノーレ沿いに建てられた家々の庭はさらに格調のある茂みを形作っていた。その最大のものがエリゼ宮である。建物の前面の半円型の部分がロンポワンの北端となっている。

王妃マリー・アントワネットは友人達とここを流し、ルイ15世広場にある堂々たるホテル・ドゥ・クリヨン(Hôtel de Crillon)で音楽の授業を受けた。ロンポワンからエトワール広場への通りは第一帝政時代に建設された。シャンゼリゼそのものは1828年に正式に市の資産となり、歩道、泉、ガス灯などが作られた。ナチス・ドイツの侵略時代には、ドイツ軍が木陰を行進したいがために街路樹の数を倍にしたと言われた。最近では1993年に側道部分が拡幅されるなど、何年もの間この大通りは様々な経緯変遷を経てきた。

産業
1860年には、この通りの商人が団結しシャンゼリゼ保護運動団体を結成し、1916年にはルイ・ヴィトンが会長である協会となり、通りのプロモーションを行ってきた。1980年には、この協会はシャンゼリゼ委員会と改名。パリ最古の現存する委員会である。この委員会は常にこの通りの高級な雰囲気を保つための公共プロジェクトや、営業時間の延長を図るために当局との交渉などに当たってきた。現在でも新しい企業が通りに参入する場合はこの委員会の承認が必要である。

賃借料が高額なため、実際にはシャンゼリゼにはほとんど誰も住んでいない。建物の高層階は事務所となるケースが多い。日当たりがいいため、特に通りの北側の賃借料が極めて高い。シャンゼリゼの壮大な建築は多くの人々に賞賛されている。大統領官邸(エリゼ宮殿)のすぐ隣にあり、すぐ横には1900年に建てられたグラン・パレとその門がある。庭園と並木のすばらしい散歩道を歩くと、子供のための操り人形の劇場に出くわすこともある。フランスの昔ながらの人気の伝統である。

イベント
クリスマスのシャンゼリゼ 毎年7月14日のパリ祭(バスティーユ・デイ)の日には、大統領も謁見する、ヨーロッパ最大の軍隊パレードがシャンゼリゼで開かれる。
シャンゼリゼは1975年以降、自転車レース「ツール・ド・フランス」の最終ステージのコースおよびゴールとして使われている。
シャンゼリゼは毎年12月31日には歩行者天国となり、新年を祝うイベントが行われる。

ルノー
大通り
久屋大通 - シャンゼリゼ通りが友好提携を結んでいる愛知県名古屋市の大通り。
狸小路 - 北海道札幌市にあるアーケード通り。「ぽんぽこシャンゼリゼ」を自称し、同通りテーマソングの歌詞中にも含ませている。
統一通り (ブカレスト) - ルーマニア首都ブカレストにある通り。チャウシェスク政権下にてブカレストの大規模な都市改造がなされた際、シャンゼリゼ通りを模倣して設計・工事施工された。
ウンター・デン・リンデン - ドイツ首都ベルリン(東西ドイツ分断時代は、東ドイツ首都東ベルリン)にある通り。20世紀初頭まではシャンゼリゼ通りに匹敵する欧州都市随一の街路繁華街として名を馳せていた。シャンゼリゼ通りと同じく凱旋門建築(ここではブランデンブルク門)へ続く配置がされ、第二次世界大戦のベルリン大空襲・ベルリン市街戦やドイツ社会主義統一党政権下では勢いを失ったものの、東西ベルリン統合後は再び活気を取り戻しつつある。



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2012年11月17日

世界で最も美しすぎる地下鉄はキエフスカヤ駅



★キエフスカヤ駅(ロシア語: Киевская)は、モスクワ地下鉄5号線環状線の駅。鉄道のキエフスキー駅(キエフ行き列車の発着駅)と接続している。
所在地 ロシア モスクワ

所属事業者 モスクワ地下鉄
所属路線 環状線

開業年月日 1954年3月14日

乗換
キエフスカヤ駅
 (地下鉄アルバーツコ=ポクローフスカヤ線)
キエフスカヤ駅
 (地下鉄フィリョーフスカヤ線)
キエフスキー駅
 (鉄道駅)


環状線のキエフスカヤ駅はアルバーツコ=ポクローフスカヤ線やフィリョーフスカヤ線ともつながっており、そのため環状線の駅の方を他の路線の駅と区別するためにキエフスカヤ・環状線駅と呼ぶこともある。

駅の場所
他の2つの地下鉄駅(いずれも「キエフスカヤ駅」)と共有の入り口は、鉄道駅であるキエフスキー駅の構内にある。

歴史

環状線は1950年から段階的に開通していたが、1954年3月14日にベラルースカヤ駅 - パールク・クリトゥールイ駅間が開通し、キエフスカヤ駅も開業した。このときの開通により環状線は全線開通となり、名前どおりの環状線として完成した。

装飾

駅のデザインはウクライナで行われた公開コンテストで選ばれた。白い大理石で上張りされた四角い支柱で装飾されており、支柱の上にはロシアとウクライナの連帯を賛美する大きいモザイク画が飾られている。支柱の間にあるアーチもモザイク画も精巧な金色の装飾が施されている。プラットホームの端にはレーニンの肖像画が飾られている。
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2012年11月08日

歌手のリアーナが7日ヴィクトリアズ・シークレットのファッションショーに登場


写真は、ショーでパフォーマンスを披露する歌手のリアーナ(Rihanna)

米ランジェリーブランドのヴィクトリアズ・シークレット(Victoria's Secret)が7日、米ニューヨーク(New York)のレキシントンアベニュー・アーモリー(Lexington Avenue Armory)でファッションショーを行った。
posted by kisebeauty at 23:29| Comment(0) | ファッション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

フィリピン代表のケビン・バロット(Kevin Balot)さんがニューハーフの美人コンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン(Miss International Queen)2012」で優勝



タイ南東部パタヤ(Pattaya)で2日に行われたニューハーフの美人コンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン(Miss International Queen)2012」で、フィリピン代表のケビン・バロット(Kevin Balot)さんが優勝した。

準優勝はブラジル代表のジェシカ・シモエス(Jessika Simoes)さん
posted by kisebeauty at 23:44| Comment(0) | ビューティ・ページェント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌手のカイリー・ミノーグがデビュー25周年を記念しファッション本『Kylie/Fashion』を出版



歌手のカイリー・ミノーグ(Kylie Minogue)がデビュー25周年を記念し、ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)などのデザイナーによる衣装を収めたファッション本『Kylie/Fashion』を出版する。

 カイリーは「この本には、キャリアを通して知り合った才能のあるファッション界の人々との関係を記しています。一緒に仕事をした素晴らしいデザイナーやメゾンの話をまとめることができてとても嬉しいです。アーカイブを振り返りることは思い出を辿る旅のようです。ファッションには、私の25年間が集約されています」と語る。

 今回掲載されている衣装の多くは、カイリーがステージやPVで着用したもので、「スピニング・アラウンド」のPVで着用したゴールドのホットパンツや「熱く胸を焦がして」で披露したホワイトのフード付きのキャットスーツなども含まれている。

 本の中で「ドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana)」のデザイナー、ドメニコ・ドルチェ(Domenico Dolce)とステファノ・ガッバーナ(Stefano Gabbana)は「いつもカイリーのために楽しく衣装をデザインしてきました。アルバム『アフロディーテ』のカイリーは本当に女神のようでした」とコメントしている。そのほか、ゴルチエが序文を担当したほか、ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)、クリストファー・ケイン(Christopher Kane)、ジャイルズ・ディーコン(Giles Deacon)らデザイナーもコメントを寄せている。

★カイリー・ミノーグKylie Minogue
基本情報
出生名Kylie Ann Minogue
出生1968年5月28日(44歳)
出身地オーストラリア, メルボルン
ジャンルPop, dance-pop, electropop, europop
職業シンガーソングライター
活動期間
1987 – 現在 (歌手)
1979 – 現在 (女優)
レーベル
Mushroom, 1987 – 現在
Geffen (US), 1988 – 1989
PWL, 1987 – 1992
Deconstruction, 1993 – 1998
Parlophone, 1999 – 現在
EMI, 1999 – 現在
Capitol, 2002 – 現在
公式サイト Kylie.com

カイリー・アン・ミノーグ OBE(Kylie Ann Minogue, OBE, 1968年5月28日 - )は、オーストラリア・ビクトリア州メルボルン生まれのシンガーソングライター、女優である。2012年現在はイギリスに住所を移し、同国を主な活動拠点としている。身長153cm。2012年には歌手デビュー25周年を迎えた。妹のダニー・ミノーグもポップ歌手である。



人物

1987年に歌手デビュー後、母国オーストラリアやイギリスを中心に大ヒットを数多く飛ばす。一時期は「低迷期」と呼ばれる時期もあったが2000年代に入って復活。2001年に発表された「フィーヴァー」が大成功して以降はその歌唱力と美術センスのコラボレーションや、コンサートでのカイリーの「腰振り」にも話題が集まるようになった。

日本では1980年代に発表された「ラッキー・ラヴ」や「ロコモーション」、Winkがカヴァーして大ヒットを記録、カイリー・ヴァージョンも日本の洋楽シングルチャートで7週連続1位を記録した「愛が止まらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」などが有名。また世界的に大ヒットした「熱く胸を焦がして(2001年)」や「スピニング・アラウンド(2000年)」、「ワウ(2008年)」、「オール・ザ・ラヴァーズ(2010年)」なども代表曲として挙げられる。また歌手活動と平行して、女優活動や香水などのプロデュースも行っている。

来歴

1968-1992:誕生からPWL時代

1968年5月28日、オーストラリア・メルボルンで生まれた。父親はアイルランド系、母親はウェールズ系。

1980年、オーストラリアのTV番組『スカイウェイズ』に子役として出演した。

1986年2月24日から、オーストラリアの人気ドラマ『ネイバーズ』にシャーリーンの役で出演した。この番組には恋人役としてジェイソン・ドノヴァンが出演、二人は実際に恋仲になり1989年の「エスぺシャリー・フォー・ユー」(全英1位)ではデュエットを披露していたが破局。しかしその後も関係は良好でジェイソンが2007年にITVで行われたカイリーのTVスペシャルに出演したり、ジェイソンがBBCのダンス番組「ストリクトリー・カム・ダンシング」に出演した際にはカイリーがビデオメッセージを送っている 。

1987年3月、オーストラリアの『ロギー・アワード』銀賞を獲得した。

同年7月、オーストラリアのマッシュルームレコードから、リトル・エヴァ(Little Eva)のカヴァー曲「ロコモーション」でデビューした。カイリーのカヴァー曲は、ビルボード(Billboard)誌の週間チャートにおいて1988年11月12日付で最高位の第3位まで上昇した。1988年年間チャートでは第51位だった。ビルボード誌の集計では2012年現在までにおけるカイリー・ミノーグ最大のチャートヒットである。

1988年1月、イギリスとオーストラリアで、セカンドシングル(”世界デビュー曲”と呼ばれることも多い)「ラッキー・ラヴ」を発売し全英1位を獲得。「ラッキー・ラヴ」は、イギリスの「ユーロビート」のヒットメーカーチームであるストック・エイトキン・ウォーターマン(Stock-Aitken-Waterman)のプロデュースで、発売したレコード会社も彼らのレーベルPWLである。同年7月にはデビューアルバム『ラッキー・ラヴ』を発表、アルバムからは「恋は急がず」、「涙色の雨(ジュ・ヌ・セ・パ・プークワ)」などヒットを連発。また日本ではヘイゼル・ディーン(Hazell Dean)のカヴァー曲「愛が止まらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」がデビューアルバムから独自にシングルカットされ、当時絶大な人気を誇っていたアイドルWinkがカヴァーした相乗効果もあり大ヒットした。

1989年、2ndアルバム『エンジョイ・ユアセルフ』を発表、アルバムは2作連続の全英1位を獲得し先行シングルの「いつわりのハート」も全英1位を獲得する。

1990年、3rdアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を発表、このアルバムは今でもファンからの人気が高い作品の一つとして知られておりツアーでも必ずシングル曲が1~2曲は歌われる。

また、1989年から1991年にかけてカイリーは世界的ロックバンドであるINXSのボーカル、マイケル・ハッチェンスと交際するが破局する。

1991年には4thアルバム『あなたも、M?』を、1992年には初のベストアルバムである『グレイテスト・ヒッツ』(全英1位)を発表する。この『グレイテスト・ヒッツ』を最後にカイリーはデコンストラクションへと移籍する。

1994-1998:デコンストラクション時代

1990年代以降、アイドル路線から歌唱力に比重を置いたプロモーションに変更したが、人気は逆に低迷してしまう。この間にアメリカ映画『ストリートファイター』(1994年)にキャミィ役で出演する。

1994年、5thアルバムとなる『カイリー・ミノーグ』を発表。アルバム名に自分の名前を冠したこの作品はカイリーの再デビューとでもいうべき、記念碑的な作品となる。このアルバムには全英で2位、オーストラリアでナンバーワンに輝いた「コンファイド・イン・ミー」が収録されている。

1997年、元交際相手であったマイケル・ハッチェンスが自殺、とっくの前に破局していたとはいえ、その後もよき友達として関係を続けていたカイリーにとっては大きなショックであった。

同年にはデコンストラクションでの第二作目となる『インポッシブル・プリンセス』を発表した。この作品はインディーロックなどを盛り込んだ野心的な作品となった。しかしダイアナ元皇太子妃の死去に伴うタイトル変更やダークな作風のためか、売り上げは伸び悩んだ。そしてカイリーは再度移籍することになる。

1999-2005:パーロフォンへの移籍と『フィーヴァー』の大成功

1999年、EMI傘下のパーロフォンに移籍。自身のアルバム発表に先駆け、同じくパーロフォン所属のペット・ショップ・ボーイズの楽曲"In Denial"(アルバム『ナイトライフ』収録)にゲスト参加する。

2000年、移籍後初のアルバム『ライト・イヤーズ』を発表。リードシングル「スピニング・アラウンド」が10年ぶりに全英シングルチャートで1位を獲得し劇的な復活を遂げ、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(全英2位)やロビー・ウィリアムズとの「キッズ」(全英2位)など後続のシングルカットも次々ヒットして第2の黄金期を創出する。1990年代はピンナップガールのような露出の仕方で知名度を保っていたが、この作品群をきっかけに音楽活動の主体となっていたイギリス内でセックスシンボルの地位を確立。また、「スピニング・アラウンド」のミュージック・ビデオで見せたゴールドのホットパンツや、同年オーストラリアで開催されたシドニーオリンピックの閉会式での歌唱も話題となった。

追い風に乗ったカイリーは2001年にアルバム『フィーヴァー』を発表。リードシングル「熱く胸を焦がして」は全英1位に輝いたのみならず世界中でナンバーワンを獲得、約100万枚と彼女のキャリア史上最大のセールスを挙げた。この曲は2002年に入ってアメリカでも大ヒット(ビルボードでは最高7位、ダンスチャートでは初の1位に輝いた)。さらに「フィーヴァー」は全英アルバムチャートで9年ぶりのナンバーワンを獲得、全米でも3位(カイリーのアルバムがTOP10に入るのはこれが初である)を獲得するなどデビュー当時を上回る人気を獲得した。このアルバムからは他にも「イン・ユア・アイズ」(全英3位、豪州1位)、「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(全英2位、全米ダンスチャート1位)などのヒットも生まれた。

同年、同じオーストラリア出身のバズ・ラーマン監督の『ムーラン・ルージュ』にアブサンの妖精 "The Green Fairy" として登場。『サウンド・オブ・ミュージック』を歌った。

2003年、9枚目のアルバム『ボディ・ランゲージ』を発表。先行シングル「スロウ」は全英1位を獲得。

2004年、『フィーヴァー』から最後のシングルとしてカットされていた「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミー賞 "Best Dance Recording" を獲得。

この年には自身のキャリアを総括したベスト・アルバム『コンプリート・ベスト』を発売、新曲として「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」(全英2位、全米ダンスチャート3位)「ギヴィング・ユー・アップ」が収録された。

2005-2009:乳癌克服からキャリア初の北米ツアー

2005年3月から「ショーガール:ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー」を開始。

2005年5月、ツアーの最中に乳癌が発覚し、地元メルボルンでの闘病生活を強いられたものの、早期発見が幸いし、半月ほどで治療に成功した。退院後は、ガンとの闘病生活を送る子供たちを見舞うために病院を訪れるなどの活動を行った。術後の体調は良好である。

2006年11月、シドニーを皮切りに「ショーガール:ホームカミング・ツアー」とタイトルを変更, 全衣装や一部曲目なども変更してツアー再開。2007年1月23日に終了。全公演完全ソールドアウト。

2007年11月には、10枚目のアルバムとなる『X』発売、6ヵ国で1位を記録。

2007年12月 イギリスのエリザベス2世女王より、大英帝国勲章(OBE)を授与されることが決まる。

2007年12月に10年ぶりの来日。アルバムと香水のプロモーション、そして日本テレビ系『Music Lovers』でのゲストライブ、番組内では「熱く胸を焦がして」、「ラッキー・ラヴ」、「2・ハーツ」を歌った。

2008年2月に、『SMAP×SMAP』にゲスト出演。同年4月には、アメリカでアルバム『X』が発売、USでのリードシングルには独自に「オール・アイ・シー」が選ばれ、「This Is Why I'm Hot」の大ヒットで知られるラッパーのMIMSが参加したリミックスが正式に作られる。

2008年5月 フランス・パリを皮切りに「KYLIEX2008」ツアーが開始される。

2008年7月 英国・バッキンガム宮殿にて、大英帝国勲章(OBE)を正式に授与される。

2009年9月、キャリア初の北米ツアー『For You, For Me Tour』を開始しツアーは大成功に終わる。

2010-現在:『アフロディーテ』から歌手デビュー25周年

2010年7月 最新アルバム『アフロディーテ』を、2010年6月30日、世界に先駆けた日本先行リリース(EMI Music Japan)を筆頭に、主に7月初旬に全14ヵ国で相次いでリリースした。このアルバムは全英でナンバーワン、20ヵ国でTOP10を記録した。全米でもTOP20を記録。

また、このアルバムからカットされたシングル(「オール・ザ・ラヴァーズ」「ゲット・アウタ・マイ・ウェイ」「ベター・ザン・トゥディ」「ハンズ・アップ(愛を感じて)」)全てが全米ダンスチャートでナンバーワンを獲得した。これは彼女のキャリアの中では初めての事である。(全米ダンスチャート1位は過去に「熱く胸を焦がして」「ラブ・アット・ファースト・サイト」「スロウ」で獲得している)。

さらに、「アフロディーテ」が全英で1位を獲得したことでカイリーはイギリスのチャートで4世代(80年代、90年代、00年代、10年代)それぞれで1位を獲得した初の女性ソロアーティストとなった。

また、全米クラブ・チャートにて同じ週に『アフロディーテ』からシングル・カットされた3枚目のシングル「ベター・ザン・トゥディ」が1位、カイリーがフィーチャリングされたタイオ・クルーズの「ハイアー」が3位を記録したことから、カイリーは全米クラブ・チャートで初の2つのシングルをTOP3に送り込んだ女性ソロアーティストにもなった。

2011年2月から「アフロディーテ・レ・フォリ・ツアー」(一部地域では「アフロディーテ・ツアー」)をスタートさせる。このツアーは全英を含むヨーロッパ、北米、アジアやアフリカなどを廻り全77公演が行われた。このツアーでは 1991年の「リズム・オブ・ラヴ・ツアー」以来20年ぶりの来日コンサートが実現し4月23日と24日に 幕張メッセ、25日に 大阪城ホールで公演を行った。

来日前の 3月11日、 東日本大震災が発生し多くのアーティストが来日公演を取りやめる中、予定通り公演が執り行われた。また、4月25日には VERBALとともに東日本大震災支援のための楽曲、「ウィー・アー・ワン」が発表された。この楽曲はYoutubeにて視聴、そして寄付が可能である。

同年、11月27日には彼女のこれまでのキャリアを称えてARIAのHall Of Fame入りを果たした。

2012年にはデビュー25周年を迎えそれを記念して「K25」が発足、これはツイッターのハッシュタグを用いたツイートによりサプライズな動画が見られる企画である。1月25日には第一弾としてアビイ・ロード・スタジオで行われたオーケストラ・セッションから「ファイナー・フィーリングス」の映像が公開された(この映像は現地時間1月25日の午後7時から#K25fansのツイートが25000件に達したら公開というもので開始から約1時間半後に25000件に達した)。

3月18日からはアンタイ・ツアーを開始、このツアーはB面や未発表曲、アルバム曲を中心としたコアなファン向けのセットリストとなっており、比較的小規模な会場で行われている。オーストラリアでの公演は15分近くでソールドアウト。また、イギリスでの公演も販売から10分近くでソールドアウトになっている。

5月25日、配信限定でニューシングル『タイムボム』が発表された、この曲は"K25"の一環としてリリースされた新曲で世界同時配信から4分でツイッターのワールドワイド・トレンド・トピックで1位になるなど話題を呼んだ。

10月24日、過去のヒット曲をアビイ・ロード・スタジオでフルオーケストラとともに再録音した『女神(アフロディーテ)のすべて 〜アビイ・ロード・セッションズ〜』が日本先行で発売された。

ディスコグラフィ

チャート漢字表記一覧:イギリス(英),オーストラリア(豪),全米(米),日本(日),フランス(仏),ドイツ(独),アイルランド(愛),カナダ(加),オーストリア(墺),イタリア(伊),スペイン(西),オランダ(蘭),ベルギー(白),スウェーデン(瑞),ロシア(露),デンマーク(丁),フィンランド(芬),ハンガリー(洪),台湾(台)

オリジナル・アルバム
『ラッキー・ラヴ』(1988年)
『エンジョイ・ユアセルフ』(1989年)
『リズム・オブ・ラヴ』(1990年)
『あなたも、M?』(1991年)
『カイリー・ミノーグ』(1994年)
『インポッシブル・プリンセス』(1997年)
『ライト・イヤーズ』(2000年)
『フィーヴァー』(2001年)
『ボディ・ランゲージ』(2003年)
『X』(2007年)
『アフロディーテ』(2010年)

コンピレーション・アルバム (一部)
『グレイテスト・ヒッツ』(1992年)
『ヒッツ+』(2000年)
『コンプリート・ベスト』(2004年)
『ラヴ・カイリー〜ベスト・オブ・カイリー・ミノーグ』(2011年 来日記念盤)
『女神(アフロディーテ)の宝石 〜ベスト・オブ・カイリー・ミノーグ〜』 (2012年)
『女神(アフロディーテ)のすべて 〜アビイ・ロード・セッションズ〜』  (2012年)

シングル

- 1987年
「ロコモーション」(英2,豪1,日1,加1,芬1,愛1,南非1,米3,独3,仏5,蘭6,伊6)(米CLUB12位)
「ラッキー・ラヴ」(英1,豪1,独1,日1,愛1,墺4,伊6,加25,米28,仏4位)(米CLUB10位)

- 1988年
「恋は急がず」(英2,豪1,香1,独6,仏9位)
「涙色の雨(ジュ・ヌ・セ・パ・プークワ)」(英2,豪12,香4,独14,仏15位)
「愛が止まらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」(日1位)
「ノー・シークレット」(日4,加22,米37位)

- 1989年
「いつわりのハート」(英1,豪4,愛1,香1,日2,独17,蘭19,仏8位)
「いつだってラヴ・ユー」(英2,豪6,独24,仏19位)
「ネヴァー・トゥー・レイト」(英4,豪14,蘭29,独45,仏26位)

- 1990年
「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」(英1,豪20,蘭19,独31位)
「悪魔に抱かれて」(英4,豪4,蘭22,独24,仏13位)
「ステップ・バック・イン・タイム」(英4,豪5,蘭35,独36,仏23位)

- 1991年
「愛のメッセージ」(英6,豪11,独48,蘭81,仏50位)
「ショック!」(英6,豪7位,仏50位)
「ワード・イズ・アウト」(英16,豪10,仏50位)
「さよならの行方」(英4,愛7,豪23) (キース・ワシントンとのデュエット)

- 1992年
「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム」(英2,南非1,豪24,独51位)
「ファイナー・フィーリングス」(英11,豪60位)
「ホワット・カインド・オブ・フール」(英14,豪17,独81位)
「セレブレイション」(英20,豪21位)

- 1994年
「コンファイド・イン・ミー」(英2,豪1,日5,蘭38,独50,仏10位)(米CLUB 39位)
「プット・ユアセルフ・イン・マイ・プレイス」(英11,豪11,独87位)

- 1995年
「ホェア・イズ・ザ・フィーリング?」(英16,豪31位)

- 1997年
「サム・カインド・オブ・ブリス」(英22,豪27,洪3,伊17,露20位)
「ディド・イット・アゲイン」(英14,豪14位)

- 1998年
「ブリーズ」(英14,豪23,露3位)
「カウボーイ・スタイル」(豪39位)

- 2000年
「スピニング・アラウンド」(英1,豪1,伊13,蘭30,独62,仏28位)
「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(英2,豪1,露27,蘭64,独72,仏69位)
「プリーズ・ステイ」(英10,豪15,蘭50位)

- 2001年
「ユア・ディスコ・ニーズ・ユー」(豪20,独31,蘭50,仏31位)
「バタフライ」(米CLUB 14位)
「熱く胸を焦がして」(英1,豪1,独1,伊1,仏1,蘭1,愛1,墺1,西1,瑞1,白1,丁1,米7位)(米CLUB 1位)

- 2002年
「イン・ユア・アイズ」(英3,豪1,愛6,伊7,西7,独18,蘭14,仏24位)
「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(英2,豪3,加5,西7,愛7,伊8,蘭15,独16,米23,仏33位)(米CLUB 1位)
「カム・イントゥ・マイ・ワールド」(英8,豪4,伊13,蘭35,独47,米91位)(米CLUB 20位)

- 2003年
「スロウ」(英1,豪1,西1,丁1,伊6,加6,独8,蘭8,露20,洪4,米91位)(米CLUB 1位)

- 2004年
「レッド・ブラッディッド・ウーマン」(英5,豪4,露4,愛9,伊10,独16,蘭16,仏33位)
「チョコレート」(英6,豪14,露7,伊14,独43,仏69位)
「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」(英2,墺4,西5,豪6,蘭10,丁2,独12位)(米CLUB 3位)

- 2005年
「ギヴィング・ユー・アップ」(英6,豪8,西6,独27,蘭34位)

- 2007年
「2・ハーツ」(英4,豪1,西1,伊2,独13,仏15位)

- 2008年
「ワウ」(英5,豪11,仏15位)(米CLUB 19位)
「イン・マイ・アームズ」(英10,豪35,独8,蘭20,伊20,仏10位)
「オール・アイ・シー」(加81位)(米CLUB 3位)
「ザ・ワン」(英36,露61位)

- 2010年
「オール・ザ・ラヴァーズ」(英3,仏3,伯4,墺5,西6,愛6,伊6,独10,豪13,洪2,露14位)(米CLUB 1位)
「ゲット・アウタ・マイ・ウェイ」(英12,白5,西11位)(米CLUB 1位)
「ベター・ザン・トゥデイ」(英32,豪55,仏63位)(米CLUB 1位)

- 2011年
「ハンズ・アップ(愛を感じて)」(英93,豪50,墺38,白36位)(米CLUB 1位)

- 2012年
「タイムボム」(英31,豪12位)(米CLUB 1位) (配信限定リリース)
「フラワー」(配信限定リリース)

コラボレーション・シングル [編集]

- 1988年
「エスペシャリー・フォー・ユー」(英1,豪2,香1,蘭6,独10,仏3位) (ジェイソン・ドノヴァンとのデュエット)

- 1989年
「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」(英1位) (バンド・エイドIIの一員として参加) (チャリティー・シングル)

- 1991年
「キープ・オン・パンピン・イット」(英49位) (ヴィジョンマスターズ&トニー・キングのフィーチャリング・アーティストとして参加)

- 1995年
「野薔薇」(英11,豪2,独12,墺4位) (ニック・ケイヴとのデュエット)

- 1998年
「GBI」(日20,豪50,英63位) (テイ・トウワとのコラボレーション)

- 2000年
「キッズ」(英2,豪14,蘭24,愛5,独47位) (ロビー・ウィリアムズとのデュエット)

- 2005年
「SOMETIME SAMURAI」(テイ・トウワとのコラボレーション)

- 2008年
「Lhuna」(コールドプレイとのコラボレーション、チャリティー・シングルとして発表)

- 2010年
「エヴリバディ・ハーツ (英1,愛1位) (Helping Haitiの一員として参加) (ハイチ大地震のチャリティー・シングルとして発表)
「ハイアー」(英8,米24,独3,仏7,加13位)(米CLUB 1位)(タイオ・クルーズのフィーチャリング・アーティストとして参加)

DVD
「グレイテスト・ヒッツ・ライブ〜イン・シドニー」(2001年)
「フィーヴァー 2002 ライヴ・イン・マンチェスター」(2002年)
「ボディ・ランゲージ・ライヴ」(2004年)
「コンプリート・ベスト DVD」(2004年)
「ショウガール - ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー 2005」(2005年)
「ホワイト・ダイアモンド/ホームカミング」(2007年)
「Kylie X 2008」(2008年)
「アフロディーテ・レ・フォリ -ライヴ・イン・ロンドン-」(2011年)(ライヴ音源を収録したCD2枚組が同梱されている)

Blu-ray
「Kylie X 2008」(2008年)
「アフロディーテ・レ・フォリ -ライヴ・イン・ロンドン-」(2011年)

受賞
Brit Awards Best International Female Artist in 2001
Grammy Award For Best Dance Recording in 2004
Brit Awards International Female Solo Artist in 2008

日本公演
1989年 MEGA DISCO in DREAM '89 with デッド・オア・アライヴ、シニータ
10月2日 名古屋レインボーホール、6日 東京ドーム、7日,8日 大阪城ホール 1991年 Rhythm of Love Tour
3月3日:東京ベイNKホール 3月6日:横浜アリーナ、3月8日:名古屋市公会堂、3月10日:神戸ワールド記念ホール 2011年 APHRODITE LIVE 2011
4月23日・24日 幕張メッセイベントホール、25日 大阪城ホール
posted by kisebeauty at 08:57| Comment(0) | ファッション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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