2011年12月18日

故エリザベス・テイラーさんが愛用した16世紀から伝わる真珠のネックレスがクリスティーズで競売にかけられ1184万ドル(約9億2000万円)で落札!



故エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)さんが愛用した宝石類が13日、ニューヨーク(New York)の競売大手クリスティーズ(Christie's)で競売にかけられ、16世紀から伝わる真珠のネックレスが1184万ドル(約9億2000万円)で落札された。

「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」と呼ばれるこの真珠は、16世紀にパナマ(Panama)湾で発見され、スペインのフェリペ2世が所有。以後、スペイン王家に伝わり、17世紀にベラスケス(Velazquez)が描いた王女の肖像画にも登場している。

 その後、ジョゼフ・ボナパルト(Joseph Bonaparte)が短期間スペインを統治した間にフランスに渡ったが、1969年、オークションに出品され、テイラーさんの当時の夫だった俳優リチャード・バートン(Richard Burton)さんが3万7000ドル(約290万円)で落札した。

 カルティエ(Cartier)のネックレスにあしらわれ、予想落札額は200〜300万ドル(約1億6000万〜2億3000万円)だったが、激しい競り合いとなり、値が急騰。真珠の宝石としては、オークション史上最高額となった。

 その他にも、ブルガリ(Bulgari)のエメラルドとダイヤモンドのネックレスは610万ドル(約4億8000万円)、それに合うブローチは660万ドル(約5億2000万円)、イヤリングは320万ドル(約2億5000万円)の値を付けた。


故エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)さんが愛用したジュエリーやドレスなどが3日、オークションへの出品を前にニューヨーク(New York)で一般公開される。オークションは13〜16日に、同地のクリスティーズ(Christie's)で行われる。

 7人の男性と結婚し華々しい生活を送ったテイラーさんは、ジュエリーに並々ならぬ情熱を注いでいた。

 これらのコレクションは各地で公開されてきたが、ニューヨークが最後の場所となる。そして最後の公開で初めて、コレクションのすべてがそろう。

 オークションには、バッグやドレスなども含む約1000点が出品され、落札総額は3000〜5000万ドル(約23〜39億円)になるとみられている。

 注目は、2度結婚したリチャード・バートン(Richard Burton)氏から1968年に贈られた33.19カラットの「エリザベス・テイラー・ダイヤモンド(Elizabeth Taylor Diamond)」だ。予想落札額は250〜350万ドル(約2億〜2億7000万円)。バートンは「ラ・ペレグリーナ(La Peregrina)」と呼ばれる16世紀の真珠も贈っており、こちらも200〜300万ドル(約1億6000万〜2億3000万円)での落札が予想されている。

 ドレスではシャネル(Chanel)、クリスチャン ディオール(Christian Dior)、ジバンシイ(Givenchy)、ヴァレンティノ(Valentino)、ヴェルサーチ(Versace)、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)などのオートクチュールドレスが出品される。テイラーがバートン氏との最初の結婚式で着用したドレスは4〜6万ドル(約310〜470万円)の値を付けるとみられている。


50年にわたるハリウッド(Hollywood)での活躍同様、華やかだが波乱に満ちた恋愛遍歴でも知られた米女優エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)さんが23日、米ロサンゼルス(Los Angeles)市内の病院で死去した。79歳だった。

 テイラーさんは数年前から体調を崩しており、2月にうっ血性心不全でロサンゼルスのシダーズ・サイナイ医療センター(Cedars-Sinai Medical Center)に入院していた。

 息子のマイケル・ワイルディング(Michael Wilding)さんによれば、テイラーさんは子どもたちに囲まれ息を引きとったという。「母は素晴らしい女性で、偉大な情熱と愛情とユーモアで精一杯生きた」とマイケルさんはコメントした。

 ハリウッドの黄金期を代表するテイラーさんは、1960年の『バタフィールド8(Butterfield 8 )』と1966年の『バージニア・ウルフなんかこわくない(Who's Afraid of Virginia Woolf?)』で2度のアカデミー賞主演女優賞を獲得している。

■子役からトップスターへ

 1932年2月27日、英ロンドン(London)で生まれ、39年に両親とともにカリフォルニア(California)州に移住。父親の画廊でユニバーサル・スタジオ(Universal Studios)会長の婚約者に見出されたことをきっかけに女優の道に進んだ。

 42年に『There's One Born Every Minute』でデビュー。44年の『緑園の天使(National Velvet)』で、少年になりすまし障害競馬のグランド・ナショナル(Grand National)で優勝する少女を演じ、子役スターとしての地位を確立した。

 ジェームス・ディーン(James Dean)、ロック・ハドソン(Rock Hudson)と共演した56年の『ジャイアンツ(Giant)』では高い評価を受け、58年の『熱いトタン屋根の猫(Cat on a Hot Tin Roof)』ではポール・ニューマン(Paul Newman)と共演。59年の『去年の夏 突然に(Suddenly Last Summer)』には、キャサリン・ヘプバーン(Katharine Hepburn)、モンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)とともに出演した。

 そして60年に初のオスカーを獲得。62年には『クレオパトラ(Cleopatra)』に主演。当時としてはハリウッド史上最高額の製作費をかけた同作についてテイラーさんは、「エンターテイメント史上最も奇抜な作品」と語っている。

■恋多き女優

 私生活では8度の結婚を重ねた。最初の結婚は1950年、18歳のときだった。相手はホテル王の息子コンラッド・ヒルトン・ジュニア(Conrad Hilton Jr.)さん。華やかな結婚式を挙げ3か月間の新婚旅行へ行ったが、2人の結婚生活は203日間で幕を閉じた。

 次に19歳年上の英俳優マイケル・ワイルディング(Michael Wilding)と52年に結婚し、2人の息子をもうけた。ワイルディングといると落ち着けると語ったテイラーさんだったが、56年に離婚を申請。別居後まもなくプロデューサーのマイケル・トッド(Michael Todd)にプロポーズされた。
 
 堂々とした態度のトッドは、テイラーさんが初めて深く愛した相手だった。57年8月に娘が生まれたが、7か月後トッドはニューメキシコ(New Mexico)州の飛行機事故で命を落とした。その葬儀で落ち込んだテイラーさんの隣にいたのがトッドの親友でもあった歌手のエディ・フィッシャー(Eddie Fisher)だった。

 2人は59年に結婚するが、テイラーさんは『クレオパトラ』で共演した当時既婚者だったリチャード・バートン(Richard Burton)と恋に落ちた。2人は互いの離婚後、1964年3月に結婚。その頃には『バージニア・ウルフなんかこわくない』で共演していたが、結婚生活の崩壊を描いた同作のストーリーをまねるかのように74年6月、2人は離婚した。翌年10月に再婚したが、76年8月に再び離婚している。

 その後のテイラーさんはアルコールに溺れ、女優としての活動も下降線をたどった。バージニア(Virginia)州の上院議員ジョン・ワーナー(John Warner)氏と76年から82年まで結婚生活を送ったが、テイラーさんの悲しみが癒されることはなかった。

 80年代には入退院を繰り返すが、アルコールと鎮痛剤への依存症を克服し、エイズ患者のための活動に力を入れるようになった。
 
 91年にはリハビリ施設で出会った40歳の建設作業員と結婚して世界を驚かせたが、3年後、円満に離婚している。

 テイラーさんには子どもたちのほか、孫が10人、ひ孫が4人いる。(c)AFP

posted by kisebeauty at 23:01| Comment(0) | アクセサリー・装飾品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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