2012年01月04日

美しすぎる名品ストラディバリウスの音色は優れた匠の技から生まれる!



イタリアの弦楽器製作者アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644〜1737)が作った弦楽器の名品ストラディバリウス(Stradivarius)。

 その特別な音色の秘密として木材や接着剤、防虫剤としての鉱液、バイオリンの形状など、専門家の間でさまざまな議論がかわされてきたが、有力視されてきたのは表面の塗装に使われた「ニス」だった。

 しかしフランスとドイツの専門家チームが、4年にわたる研究の結果、ニスはごく普通のものだったと発表した。



 研究チームは、ストラディバリが約30年の間に作ったバイオリン4丁とビオラ1丁のニスを赤外線で分析した。その結果、ニスの材料として使われていたのは、18世紀の工芸家や芸術家の間で一般的だった油と松やにの2種類だけだったことが分かった。

 研究に参加したパリ(Paris)の音楽博物館(Museum of Music)のJean-Philippe Echard氏(化学工学)は「ニスが音色に影響を与えていると言えるだけの知見は得られなかった」と述べた

 琥珀(こはく)やハチが作り出す蜂ろうなどがニスに含まれているとの議論もあったが、それらの材料は一切検出できなかったという。さらに、松やにも豊かな色合いを出すために使われた可能性が高く、この他に見つかった赤い顔料も、見た目を変えるために使われたようだという。

 研究チームは「ストラディバリは特別な秘密の材料を使わなかったのかもしれない。弦楽器製作、特に木材の仕上げに秀でた工芸家だったのだろう」とし、ニスのレシピは非常にシンプルなものだったと結論づけている。





米国のバイオリニストが6日、自分がタクシーの中に置き忘れた400万ドル(約4億2000万円)のバイオリンを届けてくれたタクシー運転手のために、無料のコンサートを開いた。

 バイオリンを置き忘れたのは、ロシア生まれの米国人バイオリニスト、Philippe Quintさん(34)。テキサス(Texas)州ヒューストン(Houston)から航空機に乗り、ニュージャージー(New Jersey)州ニューアーク(Newark)の空港に到着後タクシーに乗り込んだが、その時、後部座席に名匠アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari)が1723年に制作したバイオリンの名器「Ex-Keisewetter」を置き忘れてしまったという。

 ところが、そのタクシーの運転手モハメド・カリル(Mohammed Khalil)さんがバイオリンをQuintさんに届けてくれた。Quintさんはその時に持ち合わせていた全財産だった現金100ドル(約1万円)をお礼として渡したが、感謝の気持ちを表すためそれ以上のことをしたいと考え、運転手のために30分間の無料コンサートを開催した。

 さらに、カリルさん一家を9月にニューヨーク(New York)のカーネギーホール(Carnegie Hall)で開かれるコンサートにも招待しているという。




18世紀イタリアの弦楽器製作者アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari)のバイオリンの名器「ストラディバリウス」の「ペニー」が4日、ニューヨーク(New York)の競売大手クリスティーズ(Christie's)で競売にかけられ、127万ドル(約1億3000万円)で落札された。

「ペニー」は所有者の英国のバイオリニスト、バーバラ・ペニー(Barbara Penny)さんにちなんで名付けられたが、前年ペニーさんが亡くなったため競売にかけられることになった。

★アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644年 - 1737年12月18日)は、イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者。

ニコロ・アマティに弦楽器製作を師事したストラディバリは、16世紀後半に登場したヴァイオリンの備える様式の完成に貢献した。同年代のヴァイオリン製作者にはジュゼッペ・グァルネリらがいる。

ストラディバリが製作したヴァイオリンは、約1,200挺あるといわれ、約600挺の存在が確認されている。またヴィオラやチェロを約50挺製作しており、いずれも弦楽器の代表的な名器として知られる。

彼の楽器には、ラテン語でAntonius Stradivarius Cremonensis Faciebat Anno [date](クレモナのアントニオ・ストラディバリ作、[製作年])という銘がある。

生涯

1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は残されていない。アレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)とアンナ(Anna née Moroni)の家庭に生まれた。1667年から1679年まで、ニコロ・アマティの工房で弟子として製作技術を学んだ。

1680年、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構え、楽器製作者としての名声は若き日より確立されていた。彼の独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮された。ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、音色を締めるためのニスはより色濃くなった。

ストラディバリは、ヴァイオリン以外では、ギター、ヴィオラ、チェロ、(少なくとも1台の)ハープを制作した。推定1,100挺の楽器が製作された。現存している楽器は約650挺である。

1737年12月18日イタリアのクレモナにて亡くなり、サン・ドメニコのバシリカに埋葬された。その教会は1868年に解体されており、それ以来、ストラディバリの遺骸は失われたままである。

ストラディバリウス






ストラディバリの製作した弦楽器には、18世紀の慣例に基づきラテン語にてAntonius Stradivarius Cremonenfisというラベルが貼られている。ここから、彼の製作した弦楽器はストラディバリウスあるいは省略してストラドと呼ばれる。

ストラディバリウスは、そのブランド的イメージからヴァイオリニストや収集家の羨望の的であり、現存する真作で最も評価の高い18世紀初頭の作品は、日本音楽財団が英国のオークションに出品し、2011年6月21日に1589万4000ドル(約12億7420万円)で落札された1721年製のストラディバリウス「レディ・ブラント」である。それまでは、オークションで約4億円で競り落とされたものが最高だった[2]。

ストラド・モデル

ベルリンの楽器博物館に展示されているストラディバリウス。1703年のもの。
ストラディバリのヴァイオリンの寸法などをコピーして製作されたヴァイオリンはストラド・モデルと呼ばれる。ストラド・モデルは、ヘッドスクロールやF字孔の形状などが主たる模倣の対象で、グァルネリ・デル・ジェスの模倣と並び、ヴァイオリンのデザインの古典となっている。これらストラド・モデルは、名前がつけられている特定の楽器の(傷や左右非対称といった)忠実な外的模倣から、現存するストラディバリウスの最大公約数に基づいたコピーまで多様である。

ストラディヴァリはその製作楽器の特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)を主に製作している[3]。現代の寸法標準は、ストラドのロングモデルから形式的に取られており、世界中の作家がそれを守って制作している。

ストラディバリウスにまつわるエピソード

ストラディバリウスは、優れた楽器の代名詞として、さまざまなフィクションに登場する。

20世紀以降では輸送中のストラディバリウスが航空事故に巻き込まれ、人物や高価な美術品と同様に大きな話題となることがある。天才ヴァイオリニストと謳われたジネット・ヌヴーが死亡した墜落事故、そのヌヴーの師であるジャック・ティボーが来日途上に巻き込まれ死亡した墜落事故などで、それぞれの愛用の一挺が巻き込まれている。ティボーの楽器はその残骸すら発見されていない。




製作技術

1737年ストラディバリの死後、ストラディバリ・ファミリーの純然たる後継者はおらず、1745年、ほとんどの楽器職人がクレモナから逃避したことを機に、楽器製作の伝統は途切れた。その間のクレモナ市の参事会を構成する地元の貴族や有力者は、外国の王侯貴族の庇護で裕福になる楽器職人の存在を快く思わなかった。そのためストラディバリの死後、三男のパオロ・ストラディバリは父アントニオと二人の兄から相続した楽器の製作道具を「クレモナ市内で使用しないこと」を条件に売却した。

また、ストラディバリの時代のヴァイオリンはバロックヴァイオリンと呼ばれるものであり、主に室内楽に用いられた。市民革命後、王侯貴族の音楽である室内楽から、劇場における演奏会へと演奏形態が変化した。19世紀になって楽器製作の中心はパリに移り、より大きな華やかな音が出るヴァイオリンが求められ、ヴィヨームやルポーらによって、ネックの傾斜や指板の長さ・傾きとコマの高さのバランスが改造された。このような音楽のヴァイオリンに対する要請の変化の中で、最高峰の音色・音量を堅持して現在まで生き残っているのが、ストラディバリウスを頂点とするオールドイタリアンヴァイオリンである。

楽器そのものに対する科学的な研究や技術開発が進んだ現代の弦楽器製作者の木工技術は、ストラディバリの時代の木工製作技術より優れているという。

入手可能性

日本国内では、特定の老舗弦楽器商で仕入れられることがある。 他に、所有者からの譲り渡しで購入する場合、海外ではオークションにかけられる事が多い。

ストラディバリウスは、資産家や所有団体、関係団体から演奏家へ(期間限定あるいは終身の)貸与される場合がある。日本では、公益法人や企業の保有しているストラディバリウスが音楽家に貸与されている[7]。特に日本音楽財団は多くのストラディバリウスを保有し、内外の演奏家に無償貸与している。

ストラディバリウスと演奏家

ストラディバリウスやグァルネリウスを演奏するヴァイオリン奏者は、使用している楽器名を公開することが多い。

またストラディバリウスの名器は、その所有者や演奏者の来歴が明らかなことがある。 そのためストラディバリウスをはじめ著名な楽器には、辿ってきた軌跡に由来する二つ名(通称)が付いていることも多く、通称とあわせて公開されることもある。

日本人演奏家が使用するストラディバリウス



製作年

愛称

種別

使用者

自己所有/貸与団体

備考



1700年

ドラゴネッティ

Vl

南紫音

貸与:日本音楽財団

 貸与終了



1703年

ディクソン・ポインター

Vl

辻久子

自己所有

自宅を売却し、購入資金に充てた。



1707年

ステラ(Stella)

Vl

二村英仁

自己所有

オランダの貴族が所有していたもの



1714年

ドルフィン(Dolphin)

Vl

諏訪内晶子

貸与:日本音楽財団

ヤッシャ・ハイフェッツが所有していたもの。三大ストラディヴァリウスの一つ。アラード(1715年)は個人のコレクターが所有、メサイア(1716年)はイギリスのオックスフォードのアシュモリアン美術館に展示中。



1715年

エクス・ピエール・ローデ

Vl

五嶋龍

貸与:NPO法人イエロー・エンジェル

-



1715年

不明

Vl

川井郁子

貸与:大阪芸術大学

-



1722年

ジュピター エックスゴーディング

Vl

五嶋みどり、樫本大進

日本音楽財団

五嶋みどりへの貸与を経て、ベルリン・フィルコンサートマスターの樫本大進が使用。



1716年

デュランティ

Vl

千住真理子

自己所有

約300年間誰にも弾かれずに眠っていた。



1727年

レカミエ

Vl

庄司紗矢香

貸与:上野製薬(株)名誉会長

ミッシャ・エルマンが所有・使用していたもの。



1727年

不明

Vl

神尾真由子

貸与:サントリー(株)

ヨーゼフ・ヨアヒムが所有・使用していたもの。



1727年

不明

Vc

岩崎洸

不明

-



1736年

ルーシー(Roussy)

Vl

高嶋ちさ子

自己所有
posted by kisebeauty at 21:16| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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