2013年07月31日

2010年にロンドン(London)の駅で盗難に遭って以来行方が分からなくなっていた120万ポンド(約1億8000万円)相当の希少バイオリン「ストラディバリウス(Stradivarius)」が発見される



英警察は30日、2010年にロンドン(London)の駅で盗難に遭って以来行方が分からなくなっていた120万ポンド(約1億8000万円)相当の希少バイオリン「ストラディバリウス(Stradivarius)」を発見したと発表した。

 1696年製のストラディバリウスと貴重な弓2本は、所有者で韓国出身のバイオリニスト、キム・ミンジン(Min-Jin Kym)さん(34)がロンドンのユーストン(Euston)駅のカフェで食事中、何者かに盗まれた。キムさんが10代の頃から使い続けてきた楽器だったという。

 警察によると、バイオリンは先週、イングランド中部の建物で発見された。詳細は明らかにされていないが、ほとんど損傷を受けておらず、同時に盗まれたペカット(Peccatte)の弓(6万2000ポンド、約925万円)とバザンスクール(School of Bazin)の弓(5000ポンド、約75万円)と共に、ケースに入った状態で見つかった。

 2011年4月には、バイオリンを盗んだ罪を認めたジョン・モーガン(John Maughan)被告(当時30)に、禁錮4年の判決が言い渡された。この他、事件に関与したとされるロンドン在住の15歳と16歳の少年が、少年院に収容されている。

◆英鉄道警察は30日、ロンドン市内で2010年末に盗まれたバイオリンの名器「ストラディバリウス」を、イングランド中部の民家で発見、回収したと発表した。

見つかったのは1696年製のストラディバリウス。100万ドル(約9800万円)以上の価値があるとされるバイオリン本体と、計10万500ドル相当の弓2本が、ともにほぼ無傷のまま回収された。

捜査を率いた刑事部長は「長期にわたる複雑な捜査の結果、バイオリンを回収できたことをうれしく思う」と話し、捜査には警察内の別のチームや保険会社、骨董(こっとう)品業者らの協力があったことを強調した。

持ち主のバイオリニスト、キム・ミンジンさんは当時、ロンドン市内の駅近くでバイオリンと弓の入ったケースがなくなっていることに気付いて警察に通報した。同事件に関連して翌年、10代の若者2人が逮捕され量刑を言い渡されたが、楽器自体は見つかっていなかった。ミンジンさんは「事件のことを毎日考え、夢の中にも出てきた」と振り返り、発見の知らせに感激していると話した。

ストラディバリウスは、1600年代にイタリア・クレモナ出身のアントニオ・ストラディバリが製作した弦楽器群。ストラディバリは計1116本の楽器を作ったとされ、そのうちビオラ、チェロ、マンドリン、ギターを含む600本以上が現存する。


★アントニオ・ストラディバリ
アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644年 - 1737年12月18日)は、イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器制作者。世界最高峰のヴァイオリンであるストラディバリウスを製作したことで知られる。

ニコロ・アマティに弦楽器制作を師事し、16世紀後半に登場したヴァイオリンの備える様式の完成に貢献した。ヴァイオリンを中心に約1,200挺の楽器を製作したとされ、約600挺の存在が確認されている。また、ヴィオラやチェロを約50挺制作しており、いずれも弦楽器の代表的な名器として知られる。彼の手による楽器にはラテン語でAntonius Stradivarius Cremonensis Faciebat Anno [date](クレモナのアントニオ・ストラディバリ作、[制作年])という銘がある。

生涯
1644年に生まれたとされているが、正確な誕生月日は不明。父はアレサンドロ・ストラディバリ(Alessandro Stradivari)、母はアンナ(Anna née Moroni)。1667年から1679年まで、ニコロ・アマティの工房で弟子として楽器の製作技術を学んだ。1680年、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza San Domenico)に工房を構えると、若くして楽器制作者としての名声を得た。その生涯で1,116挺の楽器を製作したとされ、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、マンダリン、ギターを含む約600挺が現存している。ストラディバリの独創性はアマティの様式の変更を通じて発揮され、ばらつきのあった木の厚みをより厳密に制御し、ヘッドスクロールの概念を確立し、音色を締めるためのニスはより色濃くなった。
1737年12月18日、イタリアのクレモナにて死去し、サン・ドメニコのバシリカに埋葬された。この教会は1868年に解体されており、ストラディバリの遺骸は失われた。

ストラディバリウス
ストラディバリの制作した弦楽器には、18世紀の慣例に基づきラテン語にてAntonius Stradivarius Cremonensisというラベルが貼られている。ここから、彼の制作した弦楽器はストラディバリウスあるいは省略してストラドと呼ばれる。

ストラディバリウスはヴァイオリニストや収集家の羨望の的であり、しばしばオークションにおいて高額で落札される。現存する真作で最も高値をつけたのは2011年6月21日に1589万4000ドル(約12億7420万円)で落札された1721年製のストラディバリウス「レディ・ブラント」である[2]。それ以前は2006年に約4億円で競り落とされたものが最高記録だった[3]。また、1699年製(愛称不明)が2億1700万円で落札されている。日本人では高嶋ちさ子がルーシーを2億円で購入、千住真理子がデュランティを2〜3億円(具体的な金額は未公開)で購入している。

ストラド・モデル
ストラディバリのヴァイオリンやチェロの寸法などをコピーして制作された楽器はストラド・モデルと呼ばれる。ストラド・モデルは、ヘッドスクロールやF字孔の形状などが主たる模倣の対象で、グァルネリ・デル・ジェスの模倣と並び、ヴァイオリン属のデザインの古典となっている。これらストラド・モデルは、名前がつけられている特定の楽器の(傷や左右非対称といった)忠実な外的模倣から、現存するストラディバリウスの最大公約数に基づいたコピーまで多様である。
ストラディバリのヴァイオリンはその制作楽器の特徴から、三つの時期に分類できるとされる。このうち最後の時期においては、ヴァイオリンのボディ長の設計を約3mm拡大し355mm前後とした楽器(後にロングモデル、ロングストラドなどと呼ばれる)を主に制作している[4]。現代の寸法標準は、ストラドのロングモデルから形式的に取られており、世界中の作家がそれを守って制作している。

制作技術
1737年ストラディバリの死後、ストラディバリ・ファミリーの純然たる後継者はおらず、1745年、ほとんどの楽器職人がクレモナから逃避したことを機に、楽器制作の伝統は途切れた。その間のクレモナ市の参事会を構成する地元の貴族や有力者は、外国の王侯貴族の庇護で裕福になる楽器職人の存在を快く思わなかった。そのためストラディバリの死後、三男のパオロ・ストラディバリは父アントニオと二人の兄から相続した楽器の制作道具を「クレモナ市内で使用しないこと」を条件に売却した。

また、ストラディバリの時代のヴァイオリンはバロック・ヴァイオリンと呼ばれるものであり、主に室内楽に用いられた。市民革命後、王侯貴族の音楽である室内楽から、劇場における演奏会へと演奏形態が変化した。19世紀になって楽器制作の中心はパリに移り、より大きな華やかな音が出るヴァイオリンが求められ、ヴィヨームやルポーらによって、ネックの傾斜や指板の長さ・傾きとコマの高さのバランスが改造された。このような音楽のヴァイオリンに対する要請の変化の中で、最高峰の音色・音量を堅持して現在まで生き残っているのが、ストラディバリウスを頂点とするオールドイタリアンヴァイオリンである。

かつては楽器の表面につかわれたニスがストラディバリの音色の鍵だとされていたが、21世紀に入ってこれは否定された。現代の弦楽器制作者の木工技術は、楽器そのものに対する科学的な研究や技術開発が進んだこともあり、ストラディバリの時代の木工制作技術より優れている。

入手可能性
日本国内では、特定の老舗弦楽器商で仕入れられることがある。他に、所有者からの譲り渡しで購入する場合、海外ではオークションにかけられる事が多い。
ストラディバリウスは、資産家や所有団体、関係団体から演奏家へ(期間限定あるいは終身の)貸与される場合がある。日本では、公益法人や企業の保有しているストラディバリウスが音楽家に貸与されている。特に日本音楽財団は多くのストラディバリウスを保有し、内外の演奏家に無償貸与している。

ストラディバリウスにまつわるエピソード
ストラディバリウスは、優れた楽器の代名詞として、さまざまなフィクションに登場する。
20世紀以降では輸送中のストラディバリウスが航空事故に巻き込まれ、人物や高価な美術品と同様に大きな話題となることがある。天才ヴァイオリニストと謳われたジネット・ヌヴーが死亡した墜落事故、そのヌヴーの師であるジャック・ティボーが来日途上に巻き込まれ死亡した墜落事故などで、それぞれの愛用の一挺が巻き込まれている。ティボーの楽器はその残骸すら発見されていない。

ストラディバリウスと演奏家
ストラディバリウスやグァルネリウスを演奏するヴァイオリン奏者は、使用している楽器名を公開することが多い。
またストラディバリウスの名器は、その所有者や演奏者の来歴が明らかなことがある。 そのためストラディバリウスをはじめ著名な楽器には、辿ってきた軌跡に由来する二つ名(通称)が付いていることも多く、通称とあわせて公開されることもある。

日本人演奏家が使用するストラディバリウス
制作年 愛称 種別 使用者 自己所有/貸与団体 備考
1703年 ディクソン・ポインダー(Dickson-Poynder) Vl 辻久子 自己所有 自宅を売却し、購入資金に充てた。名称は以前の所有者ジョン・ディクソン=ポインダー(英語版)に由来する。
1707年 ステラ(Stella) Vl 二村英仁 自己所有 オランダの貴族が所有していたもの
1713年 レディ・レイ Vl 浦川宜也 不明 一時的に所有し、モーツァルトソナタ集の収録に使用。その後この楽器は日本ヴァイオリン経由で香港のヴァイオリニスト 姚珏(ジュエ・ヤオ))(中国語版)に渡る。(彼女はそれによって中国人発のストラディヴァリウス弾きとなる)[12]
1714年 ドルフィン(Dolphin) Vl 諏訪内晶子 貸与:日本音楽財団 ヤッシャ・ハイフェッツが所有していたもの。三大ストラディヴァリウスの一つ。アラード(1715年)は個人のコレクターが所有、メサイア(1716年)はイギリスのオックスフォードのアシュモリアン美術館に展示中。
1715年 エクス・ピエール・ローデ Vl 五嶋龍 貸与:NPO法人イエロー・エンジェル -
1715年 不明 Vl 川井郁子 貸与:大阪芸術大学 -
1717年 ハンマ1717 Vl 中澤きみ子 不明 ストラドにしては男性的[13]と言われ、「ストラドの中では音が出にくい“強い楽器”で弓をきちっと弦に吸い付かせてひかないと音が出ない」。コレクターのハウエ家が所有した後、シュトゥットガルトのハンマ商会が所有していたことが名前の由来。(ハンマ商会は他のストラドも所有していたことがあり、それらは「ハンマ1716」などと呼ばれる)。元ベルリンフィル第1コンサートマスターのコリヤ・ブラッハーやアルバン・ベルク四重奏団のギュンター・ピヒラーが奏した。
1716年 デュランティ Vl 千住真理子 自己所有 約300年間誰にも弾かれずに眠っていた。
1727年 レカミエ Vl 庄司紗矢香 貸与:上野製薬(株)名誉会長 ミッシャ・エルマンが所有・使用していたもの。
1727年 不明 Vl 神尾真由子 貸与:サントリー(株) ヨーゼフ・ヨアヒムが所有・使用していたもの。
1727年 不明 Vc 岩崎洸 不明 -
1736年 ルーシー(Roussy) Vl 高嶋ちさ子 自己所有

◆イタリアの弦楽器制作者アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644年〜1737年12月18日)が製作した、世界最高峰のバイオリンの名称。1200挺ほどが製作され、現在、約600挺が存在するとされている。製作年代やタイプ、来歴などにより価格は大きく変わり、一般に数千万から数億円で取引されている。最高価格は、2011年6月にオークションで落札された1721年製のストラディバリウス「レディ・ブラント」の1589万4000ドル(約12億7420万円)。資産家や所有団体、関係団体から演奏家へ貸与されることもあり、特に日本音楽財団は内外の演奏家に無償貸与している。例えば、歴史的バイオリニストであるヤッシャ・ハイフェッツが所有していた1714年製の「ドルフィン」は、日本音楽財団によりバイオリニスト諏訪内晶子に貸与されている。
posted by kisebeauty at 22:50| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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