2011年08月28日

ジャンプする美しすぎる“ロシアのバービー人形”ダリヤ・クリシナ(Darya Klishina 20歳) 陸上世界選手権大邱大会で注目!

<大邱世界陸上>走り幅跳びの“バービー人形”ダリヤ・クリシナDarya Klishina.
の入国でファンに大歓迎
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ダリヤ・クリシナが25日、大邱(テグ)空港に到着し、歓迎している市民に向かって手を振っている。彼女は優れた競技力と美しすぎる容姿で欧州の陸上ファンの人気を一身に集めている。
今回の大邱世界陸上で記録と持ち前の美貌で注目を集めることだろう。


◆ダリヤ・クリシナDarya Klishina.
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生年月日:1991年1月15日国籍:ロシア

走り幅跳びの“バービー人形”クリシナ
種目:走幅跳び
最大の目標は、2012年ロンドンです!


Darya Klishina
Personal information
Nationality Russia
Born 15 January 1991 Tver, Russia
Sport
Sport Track and field
Event(s) Long jump

Medal record
Women's athletics
Competitor for Russia
European Indoor Championships
Gold 2011 Paris Long jump
European U23 Championships
Gold 2011 Ostrava Long jump
European Junior Championships
Gold 2009 Novi Sad Long jump
World Youth Championships
Gold 2007 Ostrava Long jump



Darya Klishina (Russian: Дарья Клишина, born 15 January 1991) is a Russian long jumper. She holds the Russian junior record with 7.03 m, the all time second best junior mark.
Personal bests
Event Best (m) Venue Date
Long jump (outdoor) 7.05 (1.1 m/s) Ostrava 17/07/2011
Long jump (indoor) 6.87 Moscow 07/02/2010



Darya Klishina.
ダリヤ・クリシナが自己ベストを更新し優勝
IMGクライアントでロシアの走り幅跳び選手、ダリヤ・クリシナがチェコ共和国で行われたU23ヨーロッパ陸上競技選手権で金メダルを獲得しました。
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クリシナは予選で見せた見事なジャンプを決勝でも見せ、自己ベストの7.05mを跳躍し優勝。また、クリシナはこの記録でスタジアム新記録と大会新記録も更新しました。

クリシナ コメント「大会記録やスタジアム記録と同時に、自己ベストを出せて本当にうれしいです。大会を楽しむことができました。7メートルを越えられると感じていましたが、いい記録を出すためには技術的にも完璧に飛ばなくてはならないこともわかっていました。韓国の世界陸上の前に調子を上げることできて、とてもよかったと思っています」

"私は普通の若い女の子と変わりありません。靴と服をたくさん持っている!そして私は、カフェで友達と暇な時間を費やして映画館やボーリングを行くのが大好き。"

自分自身に"よくやった"と言うためには、私にとって大きなものは怪我がないことです。そしてもちろん最大の目標は、2012年ロンドンです!

あなたが長いジャンパーでなかった場合は、他のどんな仕事をしたい?"私は選手ではなかった場合、私は歴史を勉強し、考古学を行うと思う。"

栄光、そして名誉。ロシアの走り幅跳びジュニア記録を持つDarya Klishina.。 その距離、7.03メートル。 ダリヤ・クリシナは才能だけでその地位を得たのではない。絶え間ない 努力をし、掴み取ったのだ。 連日のトレーニング、食事制限、雑誌の取材。
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Klishina Darya RUS
Sex Weight Height Date of Birth Place of birth
W 15/01/1991

Personal Best - Outdoor
Performance Wind Place Date
Long Jump 7.05 1.1 Ostrava 17/07/2011

Personal Best - Indoor
Performance Wind Place Date
Long Jump 6.87 Moskva 07/02/2010

Progression - Outdoor
Season Performance Wind Place Date
Long Jump 2011 7.05 1.1 Ostrava 17/07/2011
2010 7.03 1.3 Zhukovsky 26/06/2010
2009 6.80 0.3 Novi Sad 24/07/2009
2008 6.20 0.6 Cheboksary 19/06/2008
2007 6.49 1.2 Penza 22/06/2007
2006 6.33 1.4 Kyiv 20/06/2006

Progression - Indoor
Season Performance Wind Place Date
Long Jump 2011 6.82 Moskva 06/02/2011
2010 6.87 Moskva 07/02/2010
2009 6.18 Moskva 03/02/2009
2008 6.44 Moskva 27/01/2008
2006 6.31 Saransk 08/02/2006

Honours
Rank Performance Wind Place Date
Long Jump
13th IAAF World Championships in Athletics 3 q 6.77 0.0 Daegu 27/08/2011
31st European Athletics Indoor Championships 1 f 6.80 Paris-Bercy (POPB) 06/03/2011
13th IAAF World Indoor Championships 5 f 6.62 Doha 14/03/2010
5th IAAF World Youth Championships 1 f 6.47 1.3 Ostrava 15/07/2007
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2011年08月10日

奈良国立博物館(奈良市)は29日、"美の極致"第63回正倉院展(同博物館主催)を10月29日〜11月14日の17日間開催すると発表!古代の名刀「金銀鈿荘唐大刀」、織田信長ら権力者が切り取ったとされる香木「黄熟香(おうじゅくこう)」など62件が出展!

第63回正倉院展、10月29日から11月14日に
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 奈良国立博物館(奈良市)は29日、第63回正倉院展(同博物館主催)を10月29日〜11月14日の17日間開催すると発表した。古代の名刀として名高い聖武天皇愛用の「金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)」、織田信長ら権力者が切り取ったとされ、「蘭奢待(らんじゃたい)」の名でも知られる香木「黄熟香(おうじゅくこう)」など62件が出展される。うち、外装に香木を使った小刀「沈香把鞘金銀荘刀子(じんこうのつかさやきんぎんそうのとうす)」など17件が初出展。会期中は無休。
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◆本年の正倉院展は、北倉7件、中倉26件、南倉26件、聖語蔵(しょうごぞう)3件の総計62件の宝物が出陳されます。正倉院宝物の全体が概観できるような内容になっておりますが、時機を得た宝物、仏教関係の宝物が充実致しております。また、初出陳も例年よりやや多く、17件を数えるのも注目されます。

昨年東大寺金堂鎮壇具(とうだいじこんどうちんだんぐ)(国宝、奈良・東大寺所蔵)中の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)より光学調査によって「陰剣」、「陽剣」の銘文が発見され話題となったのは記憶に新しいところです。

これらは宝物の献納(けんのう)目録である「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」に「除物」の貼紙がされ、宝庫より持ち出されたことはわかるものの行方がわからなかった「陰宝剣(いんのほうけん)」、「陽宝剣(ようのほうけん)」に比定されるものとして論議を呼びました。本年の正倉院展では、これに関係する品である、「陰宝剣」、「陽宝剣」の出蔵について記した文書「出蔵帳(しゅつぞうちょう)」が出陳されます。古代の名刀として高名な金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうのからたち)、大型の刀子(とうす)・斑犀把漆鞘銀漆荘刀子(はんさいのつかうるしのさやぎんうるしそうのとうす)など古式を伝える刀剣も併せてご覧いただけます。

また聖武天皇が着装された可能性もある七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)やその包みである御袈裟幞袷(おんけさのつつみのあわせ)、その容器である御袈裟箱(おんけさのはこ)、そしてこの箱を収めた御袈裟箱袋(おんけさのはこのふくろ)など一連の品が、復元模造とともに出陳されます。殊に模造七条織成樹皮色袈裟は平成19年〜21年度にかけ、3ヵ年度を費やして復元されたもので、正倉院宝物にしかみられない「織成」技法の復元に取り組んだ貴重な品です。

このほか仏前を飾った荘厳具(しょうごんぐ)である金銅華鬘形裁文(こんどうのけまんがたさいもん)や纐纈布幡(こうけちぬののばん)、我が国最古級の密教法具として名高い鉄三鈷(てつのさんこ)などの仏具類、光明皇后・称徳天皇が書写を発願(ほつがん)した経典など、聖武天皇・光明皇后が推進した奈良朝仏教を考える上で重要な品々が並びます。

さらに、香道が盛んになる中世以降「蘭奢待(らんじゃたい)」と呼ばれ、希代の名香として時の権力者にも珍重された黄熟香(おうじゅくこう)をはじめ、香木を材料に用いた沈香把鞘金銀荘刀子(じんこうのつかさやきんぎんそうのとうす)、表面に沈香の粉末を漆で練ったものを塗り込み、丁子(ちょうじ)などを半肉に埋めた沈香末塗経筒(じんこうまつぬりのきょうづつ)など、香に関する宝物が赤銅柄香炉(しゃくどうのえごうろ)・赤銅合子(しゃくどうのごうす)などの香炉類とともに出陳されるのも話題の一つです。
このほか古代の染織技法の一つである臈纈(ろうけち)によって制作された宝物、碧地金銀絵箱(へきじきんぎんえのはこ)などの華やかな調度品、地方自治体の戸籍や決算報告書、公文書の授受報告書など古代の生活をうかがい知ることのできる文書類、古代の東大寺の地図など、奈良時代を間近に感じることのできる宝物が充実致します。


開催概要
会場 奈良国立博物館(奈良市登大路町50番地)アクセスマップ
会期 2011年10月29日(土)−11月14日(月)会期中無休主な出展宝物
開館時間 午前9時〜午後6時(入館は午後5時30分まで)ただし、金曜・土曜・日曜・祝日は午後7時まで(入館は午後6時30分まで)
料金 当日 前売・団体 オータムレイト
一般 1000円 900円 700円
高校・大学生 700円 600円 500円
小・中学生 400円 300円 200円
※団体は責任者が引率する20名以上です。
※前売券は9月下旬〜10月28日に主要プレイガイドなどで販売予定。
※障害者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料です。
※この観覧料金にて、なら仏像館および青銅器館もご覧になれます。
※オータムレイトは、閉館1時間30分前以降に販売する当日券の料金です。(販売は当館当日券売場のみ)

問い合わせ
050−5542−8600奈良国立博物館(ハローダイヤル)
【主催】 奈良国立博物館【協賛】NTT西日本、近畿日本鉄道、JR東海、JR西日本、ダイキン工業、大和ハウス工業、帝塚山学園・帝塚山大学、白鶴酒造【特別協力】 読売新聞社【協力】 NHK奈良放送局、ミネルヴァ書房 ほか

◆正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた施設。「古都奈良の文化財」の「東大寺」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
解説 []
元は東大寺の倉庫であったが、明治以降、国の管理下におかれ、内務省、農商務省と所管省庁は変遷し、1884年(明治17年)宮内省所管となった。第二次世界大戦後は宮内府を経て、現在は宮内庁の正倉院宝庫及び正倉院宝物を管理する施設等機関である正倉院事務所が管理している。
正倉院の宝物には日本製品、中国(唐)や西域、遠くは ペルシャなどからの輸入品を含めた絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面など、古代の美術工芸の粋を集めた作品が多く残るほか、奈良時代の日本を知るうえで貴重な史料である正倉院文書(もんじょ)、東大寺大仏開眼法要に関わる歴史的な品や古代の薬品なども所蔵され、文化財の一大宝庫である。シルクロードの東の終点ともいわれる。
正倉院の語義[]
奈良時代の役所や大寺院には多数の倉が並んでいたことが記録から知られる。「正倉」とは、元来、「正税を収める倉」の意で、律令時代に各地から上納された米穀や物品などを保管するため、大蔵省をはじめとする役所に設けられたものであった。また、大寺にはそれぞれの寺領から納められた品や、寺の什器宝物などを収蔵する倉があった。これを正倉といい、正倉のある一画を塀で囲ったものを「正倉院」といった。南都七大寺にはそれぞれ正倉院があったが、のちに廃絶して東大寺のもののみが残っている。このため、「正倉院」は東大寺大仏殿北西に所在する宝庫を指す固有名詞と化している。
正倉院宝物 []

756年(天平勝宝8歳)、光明皇后は、夫聖武天皇の七七忌に、天皇遺愛の品約650点と、約60種の薬物を東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献した。その後も光明皇后は3度にわたって、自身や聖武天皇ゆかりの品を大仏に奉献している。これらの献納品については、現存する5種類の「献物帳」と呼ばれる文書に目録が記されている。これらの宝物は正倉院に収められた。
正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)の3つに区分されている。
北倉にはおもに聖武天皇・光明皇后ゆかりの品が収められ、中倉には東大寺の儀式関係品、文書記録、造東大寺司関係品などが収められていた。また、950年(天暦4年)、東大寺内にあった羂索院(けんさくいん)の双倉(ならびくら)が破損した際、そこに収められていた物品が正倉院南倉に移されている。南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に使用された物品なども納められていた。ただし、1185年の後白河法皇による大仏再興時の開眼会に宝物の仏具類が用いられた。そのほか、長い年月の間には、修理などのために宝物が倉から取り出されることがたびたびあり、返納の際に違う倉に戻されたものなどがあって、宝物の所在場所はかなり移動している。 上述のような倉ごとの品物の区分は明治時代以降、近代的な文化財調査が行われるようになってから再整理されたものである。
「献物帳」記載の品がそのまま現存しているわけではなく、武器類、薬物、書巻、楽器などは必要に応じて出蔵され、そのまま戻らなかった品も多い。刀剣類などは恵美押勝の乱の際に大量に持ち出され、「献物帳」記載の品とは別の刀剣が代わりに返納されている。
正倉院の三倉のなかでも特に北倉は聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を収めることから、早くから厳重な管理がなされていた。宝庫の扉の開封には勅使(天皇からの使い)が立ち会うことが必要とされていた。なお「勅封」という言葉は本来「天皇の署名入りの紙を鍵に巻きつけて施錠すること」を指す。正倉院宝庫がこの厳密な意味での「勅封」になったのは室町時代以降であるが、平安時代の各種文書記録にも正倉院を「勅封蔵」と表現しており、事実上の勅封であったと見なして差し支えないといわれる。平安時代中期には北・中・南の三倉とも勅封蔵と見なされていたが、東大寺の什器類を納めていた南倉のみは、後に勅封から綱封(東大寺別当らの寺僧組織が管理する)に改められた。1875年(明治8年)、正倉院全体が明治政府の管理下におかれてからは南倉も再び勅封となっている。
正倉院の代表的な宝物 []
赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)
漆塗りの物入れ。高102cm。正倉院の中で最も由緒があり、飛鳥時代の天武天皇(?-686)まで遡る天武天皇の遺愛の品でる。「古様作」とあることから、天武天皇の時代に作成された本厨子は、1300年前の当時から見ても古い様式であったようである。天武天皇→持統天皇→文武天皇→元正天皇→聖武天皇→孝謙天皇と受け継がれ、孝謙天皇が東大寺に献納した。国家珍宝帳によれば天皇の身近に置かれ、聖武天皇筆の「雑集」、元正天皇筆の「考経」、光明皇后筆の「楽毅論」、王羲之の書法20巻、刀子、笏など天皇の身の回りの宝物が大切に納められていたようである。元正天皇筆の「考経」などは失われて現存していないが、聖武天皇筆の「雑集」、光明皇后筆の「楽毅論」などは現存している。天武天皇から始まり6代もの天皇に伝えられた本厨子は、正倉院宝物の中でも特異な存在である。
平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)・平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)
鏡の背面を異なる材質で飾った宝飾鏡である。正倉院には56面の鏡が伝わっているが、螺鈿細工の鏡は、平螺鈿背円鏡7面と平螺鈿背八角鏡2面、計9面が伝わる。ただし、内5面は鎌倉時代に盗難に合い、粉々に砕かれた1面を除き4面は破片を接続して補修したものである。径27cm前後。夜光貝の螺鈿細工を鼈甲、琥珀、トルコ石、ラピスラズリで飾った非常に豪華な鏡である。この宝物は正倉院宝物の華やかさと世界性を象徴するものの一つで、夜光貝、鼈甲は東南アジア産、琥珀はミャンマーあるいは中国産、トルコ石はイラン産、ラピスラズリはアフガニスタン産だと考えられている。
金銀山水八卦背八角鏡(きんぎんさんすいはっけはいのはっかくきょう)
径40.7cm。平螺鈿背円鏡、平螺鈿背八角鏡と同じく宝飾鏡であるが、この鏡は背面に銀の板を張り細工を施している。さらに主要な箇所には鍍金を施してあり、非常に精巧な鏡である。中央のつまみに蓬莱山を表し、その周囲に水鳥、亀、鶴、鳳凰、龍、孔雀、オシドリ、オウム、鹿などを配置している。注目すべきことは外側に五言律詩が刻まれており、右記のように訳される。「自分の一人ぼっちの姿に旅人として異国にある身を嘆き憂え、楽を奏で歌を歌っても唱和する者も無いまま幾年が経ったことか。今新たにこの心胆を照らし出す素晴らしい鏡が出来上がった。それにしてもこの鏡に映すに相応しいあの美しい人を遥かに思い出す。この鏡の中を舞う鳳凰は近くの林の棲み家へ帰りゆき、同じく龍は海を渡って来たばかり。この鏡をしっかりとしまいこみ故郷に帰る日まで待とう。そしてその日にはこれをひもとき愛しい人を照らし出そう」
黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)
銀製の宝飾鏡で背面が七宝でできている。正倉院唯一の七宝製品であるが、古代において七宝自体の資料は極めて少ない。本鏡の一部は成分が未溶解のままの不透明な部分も多く、未熟なガラス制作技術に起因し、七宝の起こりを伝える貴重な資料となっている。またこの鏡には箱が現存しており、漆皮八角鏡箱と呼ばれる。生皮を鏡の箱用に形成し、布の上から黒漆を塗って金銀泥で仕上げている。この製法は奈良時代に盛行したが、室町以降には忘れられてしまい、明治時代の正倉院宝物修理の過程で再発見された。
鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)
唐風の女性が描かれた六扇の屏風。現在では国家珍宝帳に記載される聖武天皇遺愛の宝物として有名である。樹木の下に唐風の女性を一人ずつ描いた六枚一対で、かつては女性の着衣などに鳥の羽毛が飾られていた。今日では殆ど脱落してしまっており、三枚目の女性の肩部分に僅かに残るのみである。この羽毛は日本特産のヤマドリの羽毛であり、色濃い唐の趣に関わらず国産である事が判明している。江戸時代にかなり修理補筆が行われており、第6扇は顔をのぞいて殆ど住吉内記の補筆である。
鳥毛篆書屏風(とりげてんしょのびょうぶ)・鳥毛帖成文書屏風(とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ)
漢文を設えた大型の屏風。鳥毛立女屏風と同じく光明皇后により献納されたもので、聖武天皇のもとで使用された品である。鳥毛篆書屏風は篆書と同じ字の楷書を交えて書いたもの、鳥毛帖成文書屏風は肉太の楷書で書いた屏風で、文章は君主の座右の銘というべきもので、天皇の身近に置かれた屏風に相応しい。文字は鳥の羽毛と金箔で飾られており、鳥毛立女屏風と同じく羽毛は日本特産のヤマドリである。この二つの屏風は江戸時代に幾度か大幅な修理を受けているが、古代天皇の執務室を飾った姿を現在までよく伝えている。またそれぞれ収納用の袋も現存しており、こちらも献納当初まで遡る由緒ある品である。
象木臈纈屏風(ぞうきろうけちのびょうぶ)・羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)
文字通り象と羊がデザインされた屏風である。斉衡3年(856年)の6月25日に行われた宝物点検の記録から、元々は一つの屏風であったことが判明している。ろうけつ染めによって図があらわされている。樹木の下に動物を配したこの様式は、ササン朝ペルシアの聖樹禽獣紋から影響を受けているが、象などインドあるいは中国の動物に置き換えられている。屏風からは緑溢れる中で様々な動物が息づく楽園の情景が見てとれる。このような屏風が当時の宮殿の調度として用いられていたことから、聖武天皇をはじめ奈良時代の人々の理想としていた世界は、かくも美しく楽しげであったのであろう。
紫檀木画挟軾(したんもくがきょうしょく)
挟軾とは座ってくつろぐ際に肘置きとして使用する補助具の事である。正倉院には挟軾が本品を含め3つ伝わっているが、他の二つは脚回りしか残っていない。本品は3つの挟軾の中で最も豪華であり、唯一1300年前の姿を留めている。金銀絵、象牙細工など贅を尽くした装飾が施されているものの、軽量化を追及し、日用品としての完成度の高さも備えている。国家珍宝帳にも記載されていることから、聖武天皇の日常のくつろぎのひと時を受け止めた品であったと想像される。なお挟軾の上面を覆う薄手のクッションのような白羅褥が付属する。
御床(ごしょう)
聖武天皇と光明皇后のベッドである。檜材で作成されており、脚部などの所々には白色顔料の痕跡が見られることから、元々は純白に塗られていたとされる。また別の宝物名ではあるが、ベッドシーツや布団などが御床とセットで伝えられており、当時の実用家具、寝具を知る上の貴重な品となっている。御床は聖武天皇と光明皇后がそれぞれ用いた2張存在するが、ベットシーツである廣長亘両床緑は2人分のベットを覆うサイズである。この事から聖武天皇と光明皇后はベットを並べて眠っていたのが伺える。2人の仲の睦まじさが伝えられる宝物でもある。国家珍宝帳の末尾に記載されている本品は、光明皇后にとって最も私的な思い出の品であり、その思いから正倉院に納めたのであろう。古代の天皇のベッドまで保存し伝えている正倉院宝物の多様性には驚くばかりである。
花氈(かせん)
花などの模様を織り込んだフェルトの敷物である。この模様は敦煌やトルファンで発掘された染織品に類似している。また繊維調査の結果、材質は中央アジア産の古代ヤギの毛を用いたものであることが判明し、他にも花氈の中から中央アジア産のウマゴヤシの実が混じりこんだままになっていた。この事から恐らく本花氈はコーカサスなどで暮らす遊牧民族の手によって織り込まれ、遥々日本に運ばれたのであろう。
銀薫炉(ぎんくんろ)
純銀で作成された球形の香炉である。球形の真ん中で上下に割れ、上が蓋、下が実とされる。特徴はその大きさで直径18cmである。国外を含めこれ程大きな球形香炉は例がない。全体に精巧な透かし彫りを施されており、その技術は極めて高い。しかし1300年前のオリジナルは蓋の方であり、実は明治時代の復元品である。この宝物のもう一つの特徴は、古代と明治時代の金工技術の融合である。近目で見ても上下半球に違和感は全く無く、明治時代の高い復元技術が成しえた秀作と言える。しかしながらあえて見れば明治時代の復元である実の方は、古代の蓋と比べ彫り込みの力強さ、躍動感に欠ける。模造する事の難しさ、古代の高い技術、これらを如実に示している好例である。
青斑石鼈合子(せいはんせきべっこうす)
蛇紋岩から掘り出されたスッポン形の容器である。腹部を八稜形に刳り込んで、そこに同じ八稜形の皿がすっぽりと納まるようになっている。一見しただけならスッポンの置物そのもので、注目すべきはそのリアルな写実性である。柔らかな甲羅、鋭い爪と口、一方で琥珀を埋め込んだつぶらな瞳は愛らしく、正倉院宝物の中でもユニークな物である。もう一つの特徴は甲羅に北斗七星の文が金と銀で刻まれている事で、星座が刻まれた宝物は正倉院の中でも極めて少ない。
蘇芳地金銀絵箱(すおうじきんぎんえのはこ)
脚付きの箱であり、蓋、本体に金と銀で宝相華模様が描かれている。30.3x21.2x8.6cm。箱の中は淡い桃色に彩色され、白の花弁が描かれ、丁寧な造りとなっている。このような箱は献物箱と呼ばれ、仏に供える供物を入れるのに用いられた。正倉院にはこのような献物箱・机が数十点伝えられており、その代表がこの蘇芳地金銀絵箱である。底の部分に「東小塔」と書かれており、東小塔とは西小塔とともに神護景雲元年、称徳天皇発願の百万塔を納める為に建立された。当初この宝物は東小塔の備品だったが、東小塔廃絶の後正倉院に移管されたと考えられている。他にも平安時代に東大寺羂索院の倉庫が朽損し、中の宝物を正倉院に移したと言う記録がある。このように何らかの原因で廃絶した東大寺諸堂の備品も、正倉院に納められ大切に伝承されているのである。
白橡綾錦几褥(しろつるばみあやにしきのきじょく)
長さ99cm、幅53cmの布であり、東大寺の毘盧遮那仏に献納する品物を載せていた。正倉院には同じような大きさの布が十数点伝わり、それらと同じ天板の几(つくえ)が伝わることから、それぞれの机の上敷として用いられていたとされる。いずれも豪華で贅を尽くした華麗なものである。その中で本品は麻布を二つ折りした芯を綾で包み、裏面に薄緑色の絁を縫い付けただけのシンプルな布である。しかしながら本品は極めて特異なもので異彩を放っており、獅子(ライオン)を御する半裸の人物像は日本のみならず西方にも殆ど類をみない。綾の組織も極めて珍しく、西方でも発見されていないことから、舶載品か国産品か、未だ結論が出ていない。
紺夾纈絁几褥(こんきょうけちあしぎぬのきじょく)
白橡綾錦几褥と同じく机の上に載せる敷物である。本褥は正倉院に伝わる褥の中でも数少ない染物である。文様は蓮華風の花座の上で相対する水鳥を、満開の花樹の下に配置したものである。花葉唐草と雲形を組み合わせた円弧状の帯により上方二方と下方一方に区画されている。文様と文様の間は防染し白くくっきりと残り、赤、黄、緑、濃紺と見事に染め分けられている。例外的に文様の一つである葉の先端を、任意に防染せず黄色と緑色を混ぜ黄緑色に暈かしているが、驚くべきことに赤や紺色など他の染料が入り込んでいない。この技術は現在では失われ今日でも解明されていない。
蘭奢待(らんじゃたい)
天下第一の名香と謳われる香木。
正倉院文書 []
正倉院文書(しょうそういんもんじょ)は、正倉院に保管されてきた文書群で、光明皇后の皇后宮職から東大寺写経所に至る一連の写経所で作成された文書のことである(狭義には中倉の写経所文書を正倉院文書と呼ぶ。この他、北倉文書がある)。奈良時代に関する豊富な情報を含む史料である。
律令制下で官庁が作成した文書や諸国からの報告書のほとんどは短期間(戸籍の保存期間は比較的長く30年)で廃棄されていたが、当時紙は貴重であり東大寺写経所では廃棄文書の裏面を事務帳簿として再利用していた。しかし写経所の活動が下火になるとともに写経所文書は不要となり、やがて正倉院の片隅に収められ、勅封とともに閉じ込められいつしか忘れ去られていったと推定される。かくして偶然にも8世紀(神亀〜宝亀年間の約50年)の写経所文書が保存され、奈良時代の戸籍・正税帳などの貴重な史料が今日まで残ることになった。
その後長い年月、正倉院に閉じ込められた写経所文書は完全に忘れ去られていたが、その存在が再び明らかになるのは江戸時代後期である。穂井田忠友(平田篤胤に学んだ国学者)によって写経所文書の紙背にある史料が注目され、1833年-1836年(天保4-7年)、元の戸籍・正税帳などの状態を復元すべく一部の文書が抜出されて、45巻(正集)にまとめられた。この正集文書は写本として流布した。明治時代以降は内務省、宮内省により整理が続けられ、667巻5冊の形態になった。これにより文書の研究は大きく進んだが、一方で写経所文書は断片化されてしまい、かつての形態とは異なってしまっている。建築史家・福山敏男は写経所文書に含まれていた石山寺関係史料の復元考察を行い、石山寺の造営過程(761年-)を浮かび上がらせた(「奈良時代に於ける石山寺の造営」1933年、『日本建築史の研究』所収)。福山の研究以降、写経所文書の研究も進められている。また、正倉院から流出した文書で博物館・図書館などに所蔵されているものがあり、確認と研究が行われている。
続修正倉院文書が明治18年に活字化され、続々群書類従(明治20年ごろ)にも重要な文書が集録されたが、正倉院文書のほぼ全貌が活字化されたのは『大日本古文書』(編年文書、25冊、1901年-1940年)である。ただし一部の残片、その後発見された断片などは収録されていない。寧楽遺文(1943)にも主要な文書が集録されている。吉川弘文館で『正倉院文書研究』他が多数の研究書が出されている。原本は非公開で、正倉院の曝涼にあわせて、毎年秋の「正倉院展」(奈良国立博物館)において数点が公開される。
聖語蔵 []
正倉院の構内にはもう1棟、小型の校倉造倉庫が建ち、「聖語蔵(しょうごぞう)」と呼ばれている。中に収められているのは経巻類で、正倉院文書とは別の古代の文書(経巻類)が保管されている。もとは東大寺尊勝院の経蔵「聖語蔵」の一群である。隋・唐伝来の経243巻や、光明皇后発願の「天平十二年御願経」750巻、称徳天皇発願の「神護景雲二年御願経」742巻など計4960巻の古代の貴重な経巻類を収蔵している。ここに収蔵されていた経巻類は明治27年(1894年)に皇室に献納され、現在は他の宝物と同様に宮内庁正倉院事務所が管理している。
建造物としての正倉院[]

校倉造
校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。規模は正面約33.1メートル、奥行約9.3メートル、床下の柱の高さ約2.5メートルである。
建立時期は不明だが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8)前後とみるのが通説である。759年(天平宝字3年)以降、宝物出納の記録が残っていることから、この年までに建立されていたことがわかる。当初の正倉院の建物構成についてはわかっておらず、記録によれば、平安末期には現存する宝庫1棟を残すのみであったらしい。
床下には10列×4列の柱を建て、その上に台輪(だいわ)と呼ぶ水平材を置く。この上に北倉と南倉は校木(あぜぎ)という断面三角形の材を20段重ねて壁体をつくり、校倉造とする。ただし、中倉のみは校倉造ではなく、柱と柱の間に厚板を落とし込んだ「板倉」で、構造が異なる。なぜ、中倉のみ構造が異なるのか、当初からこのような形式であったのかどうかについては、諸説ある。奈良時代の文書には、正倉院宝庫のことを「双倉」(そうそう、ならびくら)と称しているものがある。このことから、元来の正倉院は北側と南側の校倉部分のみが倉庫で、中倉にあたる中間部は、壁もなく床板も張らない吹き放しであったため「双倉」と呼ばれたとするのが通説だったが、年輪年代法を用いた鑑定により、当初より現在の形であった事が判明している。
校倉の利点として、湿度の高い時には木材が膨張して外部の湿気が入るのを防ぎ、逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して材と材の間に隙間ができて風を通すので、倉庫内の環境を一定に保ち、物の保存に役立ったという説があった。しかし、実際には、重い屋根の荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、この説は現在は否定されている[2]。 現存する奈良時代の倉庫としてはもっとも規模が大きく、また、奈良時代の「正倉」の実態を伝える唯一の遺構として、建築史的にもきわめて価値の高いものである。
校倉造の宝庫は長年、宝物を守ってきたが、1952年に鉄筋コンクリート造の東宝庫、1962年には同じく鉄筋コンクリート造の西宝庫が完成し、翌1963年、宝物類はそちらへ移された。現在、宝物の大部分は西宝庫に収納、東宝庫には修理中の品や、西宝庫に収納スペースのない、大量の染織品が収納されている。現在、勅封はこの宝庫に施されている。
国宝指定の経緯[]
皇室用財産(宮内庁の各部局(長官官房、侍従職、書陵部、三の丸尚蔵館、京都事務所、正倉院事務所)が管理する国有財産)の一連の文化財は、「宮内庁による十分な「管理」が行われている」との宮内庁見解[3][4]にもとづき、文化財保護法による指定の対象外となっている。そのため、正倉院の建物や宝物も国宝・重要文化財等には一切指定されていなかった。しかし、「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産として登録されるにあたり、当該文化財が所在国の法律によって保護の対象となっていることが条件であることから[5]、正倉院の建物も、正倉院正倉として1997年5月19日、文化財保護法による国宝に指定された(国宝に指定されたのは宝庫の建物だけで、宝物類は指定されていない)。
正倉院展[]
正倉院宝物は通常時、非公開である。1875年〜1880年、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開された。1889年〜1940年では、正倉院内の陳列棚を設けて、曝涼(宝物の「虫干し」のことで定期的に行われる)の際に限られた人々に拝観を許していた。また、外国の高官のため、特に開封することもあった(例、1922年英国皇太子拝観)。
戦前の大規模な一般公開は、1940年11月の皇紀2600年記念として東京の帝室博物館で開催された正倉院御物特別展であった(約140点)。戦後、1946年に近隣の奈良公園内にある奈良国立博物館で正倉院展(第1回)が行われ、翌年以降、秋の2ヶ月の曝涼にあわせて開催されるようになった。正倉院展は2008年に第60回を迎えた。
管理する宮内庁が整理済みの宝物だけで9000点に上るが、このうち正倉院展で公開される宝物の品目は毎年変更され約70点のみである[6]。よって代表的な宝物を見るには複数年の見学が必要になる。学芸員が手作業で点検と陳列を慎重に行うがそれに前後約40日の時間を必要とするため、開催期間は約2週間程度と短い。毎年多くの見学者を集めている。
改修 []
2010年8月31日に正倉院を管理する宮内庁は、1世紀ぶりに正倉院の施設改修工事を行うことを目指し、平成23年度予算の概算要求で工事費として3億6,000万円を盛り込むことを決めた。尚、施設改修工事は4年間を予定している。
参考文献[]
杉本一樹『正倉院 歴史と宝物』(中公新書 2008年)ISBN 4-12-101967-9
東野治之『正倉院』(岩波新書、1988年)
東野治之『遣唐使と正倉院』(岩波書店、1992年)
長澤和俊『正倉院 シルクロードの終着駅』(講談社現代新書、1979年)
長澤和俊『正倉院の至宝 宝物殿に眠る歴史の謎』(青春新書:青春出版社、2003年)
和田軍一『正倉院夜話』(日本経済新聞社、1967年)
和田軍一『正倉院案内』(吉川弘文館、1996年)
橋本義彦『正倉院の歴史』(吉川弘文館、1997年) ISBN 4-642-07739-1
米田雄介・樫山和民編『正倉院学ノート』(朝日選書:朝日新聞出版、1999年)
米田雄介『正倉院と日本文化』(歴史文化ライブラリー:吉川弘文館、1998年) ISBN 4-642-05449-9
米田雄介『正倉院宝物の歴史と保存』(吉川弘文館、1998年) ISBN 4-642-07749-9
米田雄介・木村法光『正倉院の謎を解く』(毎日新聞社、2001年) ISBN 4-620-31503-6
『正倉院の世界 別冊太陽日本のこころ』(北啓太監修:平凡社、2006年) ISBN 4-582-92143-4
鳥越泰義 『正倉院薬物の世界 日本の薬の源流を探る』(平凡社新書、2005年)
由水常雄『正倉院の謎』(魁星出版、2007年) ISBN 4-312-01024-2
旧版 『正倉院の謎 激動の歴史に揺れた宝物』(中公文庫、1987年)
米田雄介・杉本一樹『正倉院美術館』(講談社、2009年)ISBN 4-06-215887-6

◆正倉院宝物のアクセスランキング
2011年8月10日のデイリーキーワードランキング
1 金銀平文琴
2 甘草
3 金銀鈿荘唐大刀
4 紅牙撥鏤尺
5 丹
6 滑石
7 螺鈿紫檀阮咸
8 かりろく
9 七条織成樹皮色袈裟
10 銀薫爐
11 琥珀
12 杜家立成
13 楽毅論
14 雲母粉
15 雑集
16 国家珍宝帳
17 しょうそう
18 五色龍歯
19 決明子
20 薫陸
21 金銀亀甲碁局龕
22 はず
23 尺八
24 通天牙笏
25 藍色瑠璃双六子
26 鳥草夾纈屏風
27 雄黃
28 八角鏡
29 七条刺納樹皮色袈裟
30 紫鉱
31 ろうけちのびょうぶ
32 題箋
33 出入帳
34 もっこう
35 樹下鳳凰双羊文白綾
36 鳥毛立女屏風
37 尺八・
38 水晶双六子
39 せいもっこう
40 寒水石
41 鳥毛篆書屏風
42 りょくげばちるのしゃく
43 九条刺納樹皮色袈裟
44 奄麻羅
45 全浅香
46 御書箱
47 (人参
48 獣胆
49 薬塵
50 薬壷
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2011年07月26日

美しすぎるチアリーダー、海東奈月さん(29)地元ダラスで華麗なダンスと笑顔で超満員の観客を楽しませる。

NBAファイナル盛り上げる日本人

 米プロバスケットボール、NBAのマーベリックスでチアリーダーを務める海東奈月さん=5日、ダラス(共同) 熱戦が繰り広げられているNBAファイナル(決勝・7回戦制)のコートに立つ日本人がいる。マーベリックスのチアリーダー、海東奈月さん(29)だ。チームの地元ダラスで第3戦が行われた5日、華麗なダンスと笑顔で超満員の観客を楽しませた。
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 「自分の体が浮き上がりそうな声援の中で踊れるのが魅力」と目を輝かせ、チームの快進撃に「すごい経験だと思うが、日々のことで頭がいっぱいで浸れない」と破顔一笑した。

 茨城県出身。チアリーダーとして常総学院高時代に甲子園のアルプス席で踊り、桜美林大でも腕を磨いた。OLをしながらチアリーダーを務めたアメリカンフットボールの鹿島が昨年、日本一になったのを機に本場の米国へ。昨夏、約300人が参加したオーディションを突破して20人のメンバーの1人に選ばれた。
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 今季の給料は全額、大震災の義援金に充てた。取手市の実家も、福島県に住む祖母の家も被災。「百パーセントやり切らないと日本に帰れない」と米国に残ることを決意したが、少しでも故郷の役に立ちたかった。貯金を切り崩す生活にも悔いはないという。

 第6戦以降にもつれ込むと舞台は敵地マイアミに戻るため、コートで踊れるのは泣いても笑ってもあと2試合。「いつもその日、その日が最後だと思ってやってきた」と快活に完全燃焼を誓った。

◆マブスの勝利の女神…なでしこチア、海東奈月

 米プロバスケットボール、NBAのファイナル(7回戦制)は6月12日(日本時間13日)にフロリダ州マイアミで行われた第6戦で、テキサス州ダラスに本拠地を置くダラス・マーベリックスが105−95で地元のマイアミ・ヒートに快勝。通算成績を4勝2敗として、リーグ加入31シーズン目で初の王者に輝いた。マーベリックスは1勝2敗からの3連勝で、エースのノビツキーが決勝の最優秀選手に選ばれた。

 MLB(メジャーリーグ)、NFL(フットボール)、NHL(アイスホッケー)とともに米4大プロスポーツに数えられるNBAの決勝の大舞台で、そのコートに立った日本人女性がいた。マーベリックスのチアリーダー、海東奈月(かいとう・なつき)さん(29)だ。

 もちろん、美女ぞろいのマーベリックスのチアリーダーの中で、日本人女性は彼女ひとり。茨城県出身で常総学院高時代には甲子園にも出場。アルプス席で球児たちに声援を送った。桜美林大進学後もチアリーディングを続け、日本社会人アメリカンフットボール、Xリーグの鹿島ディアーズでもチアリーダーを務めた。

 その鹿島が昨年、日本一になったのを機に本場の米国へ渡ることを決意した。昨夏、約300人が参加したマーベリックスのオーディションを受けて見事、突破。20人のメンバーの1人に選ばれた。

 1980年に設立されたマーベリックスはNBAの中でも歴史は浅い。昨2009−10シーズンはプレーオフ進出を果たしたものの1回戦で敗退している。そして、海東さんが加入した2010−11シーズンは、57勝25敗の快進撃でプレーオフに進出。西カンファレンス・セミファイナルでは2連覇中の強豪、ロサンゼルス・レーカーズを4勝0敗で破る快挙を演じ、西カンファレンス・ファイナルではオクラホマシティー・サンダーを4勝1敗で破って、2005−06シーズン以来となるNBAファイナル進出を果たした。

下馬評では東カンファレンスを制したヒートの方が上だった。6月1日の第1戦は92−84でホームのヒートが先勝。3日の第2戦は95−93の接戦でマーベリックスがタイに持ち込んだ。舞台をダラスに移した6日の第3戦は86−88でマーベリックスが競り負け、1勝2敗に…。しかし、8日の第4戦を86−83、10日の第5戦を112−103と連勝して王手。そして再び舞台を敵地に移した第6戦で、105−95と一気に初優勝を決めた。

 海東さんは、この時の興奮ぶりをこうブログにつづっている。以下はその抜粋だ。

 「2011年NBAファイナル、ダラス・マーベリックス優勝です! 1980年のチーム創立以来初めての優勝。ベテラン選手の多いマブス、まさに悲願の優勝です。私の言葉では伝えきれない程の偉業を成し遂げたマブス、素晴らしいチームの一員となれたことに今心から感謝をしています」

 「優勝の瞬間、私はホームゲームが行われるダラスのアメリカン・エアライン・センターでウオッチパーティーに参加をしていました。試合前から会場はものすごい熱気に包まれていました」

 「試合中、選手がシュートを放った瞬間お客さんは立ち上がります。決まった瞬間割れんばかりの歓声がおこります。その繰り返し。一喜一憂を2万5千人全員が共有していました」

 「踊っている最中お客さん達の顔を見ると皆はちきれんばかりの笑顔。お客さんのエネルギーは私達のダンスにしっかりと注入され、素晴らしいパフォーマンスをすることができました」

 「レギュラーシーズンが終わってから、プレーオフに入り、負けたらシーズンが終わる状況の中勝ち進み、ある時から、今シーズンの終わりが来ることを忘れるほど、日々に集中をしていました。踊りながら、このメンバーで踊ることもこれが最後。今を一生忘れたくない! と1秒1秒を心に刻みました」

「4Qの盛り上がりは今までで一番でした。ホームゲームでも感じたことのない盛り上がりようでした。優勝の瞬間、私達ダンサーは皆泣いていました。心が喜びでこんなにも揺さぶられたことは初めての体験でした」

 「マイアミで行われている表彰式を見ながら皆でWe are the Championを熱唱。本当にWe are the Championなんだ! とその時やっと確信しました」

 「ダラスの街は今、ものすごいことになっています。どこのスーパーでもマブスのチャンピオンTシャツを買うための列ができ、皆マブスの話題で持ちきり。高速道路でもテンション振り切ったファンの雄たけびが聞こえてきます」

 茨城県出身とあって、海東さんも今回の東日本大震災とは無縁ではなかった。取手市の実家も、福島県に住む祖母の家も被災。今季の給料は全額、東日本大震災への義援金に充てることを決めた。日本に帰るべきか思い悩んだこともあったが、「私にできるのは躍ることだけ。100%やり切らないと日本には帰れない」と米国に残ることを決意。貯金を切り崩す生活にも悔いはないという。

 ダラス市民を熱狂させたマーベリックスの快進撃。そして、海東さんの魂を込めたチアとその熱い思いは、きっと被災地にも届いたはずだ。



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★海東奈月
性別:女性
誕生日:1981年12月22日 0時頃
血液型:A型
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2011年06月24日

ボリウッドスターの俳優ヴィベック・オベロイ、ハニフ・ヒラルや女優のティスコ・チョープラーやシモン・スィンらががん患者支援のチャリティ・ファッションショーに登場


写真はボリウッド女優のシモン・スィン(Simone Singh)

インド・ムンバイ(Mumbai)で19日、地元デザイナーのマニッシュ・マルホトラ(Manish Malhotra)とShaina NC主催による、がん患者支援のチャリティ・ファッションショーが開催された。
 
 ランウェイにはボリウッドスターの俳優ヴィベック・オベロイ(Vivek Oberoi)、ハニフ・ヒラル(Hanif Hilal)や女優のティスコ・チョープラー(Tisca Chopra)やシモン・スィン(Simone Singh)らが登場した。
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★シモン・スィンSimone Singh, (born November 10 1974) in Jamshedpur to a Sikh father and Bengali mother, is an Indian actress.

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She made her acting debut with the television series Sea Hawks followed by a small role in Swabhimaan, in 1995. She played the title role in another popular television series Heena, which gave her wide recognition and was the highest rated show on Indian Television at the time. Simone soon forayed into Bollywood movies with Ek Rishta: The Bond of Love, in 2001.

She also played roles in a few other movies and has been acclaimed for her role in Being Cyrus, co-starring Boman Irani, Dimple Kapadia and Saif Ali Khan. She is the first Indian actress to be invited to present at the International Emmy Awards in NYC.
彼女はニューヨークで国際エミー賞で発表に招待された最初のインドの女優である。




Filmography
FilmsRann (2009)
Diamond Murders (2009)2010
99 (2009) - Jahnavi
Delhi Heights(2007) - Saima
Marigold(2007) - Shazia
Being Cyrus (2006) - Tina Sethna
Kal Ho Naa Ho (2003) - Camilla (Special Appearance)
Sssshhh (2003)
Sur: The Melody of Life (2002) - Divya
Haan Maine Bhi Pyaar Kiya (2002) - Meghna
Kabhi Khushi Kabhie Gham (2001) - Rukhsaar (Special Appearance)
Ek Rishtaa: The Bond of Love (2001) - Priya Kapoor
[edit] TelevisionLeap of Faith (2010)
Kasshish (2005) - Pia
Kosmiic Chat (2004) - Simone (anchor)
Aandhi (2003) - Chandni
Tum Pukar Lo (2001)
Hello Friends (1999)
Heena (1998) - Heena
Sea Hawks (1997) - Rupal
Ajeeb Dastaan Hai Yeh (1997) - Anita
Thoda Hai Thode Ki Zaroorat Hai (1997) - Chandni
Swabhimaan (1995)
A Mouthful of Sky (1995)
posted by kisebeauty at 23:18| Comment(0) | 建物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする